イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

杏…は暑いですね

2009-08-06 23:49:30 | 昼ドラマ

有名人の薬物逮捕が続いたからというわけではないんですが、ときどき思うことがあるんです。

「なぜ覚せい剤や麻薬や幻覚剤は違法なのに、酒ならいいんだろうか」。

“服用量”や体質的個人差はあっても、用いた人の理性判断力を鈍らせ、昂奮させ攻撃性を増し、対人・社会規範を逸脱せしめ、時に自他の生命を危うくする犯罪をも誘発、連用するうちに断ちがたい習慣性、中毒のスパイラルにはまって、やがては心身の健康を、最終的には不可逆的に損なうという点では、ヤク・ハッパもアルコールも五十歩百歩、目糞鼻クソのような気がしないでもない。

月河も含めお酒の愛好者はこういう比較の段になると決まって「量を過ごせばそりゃ問題だけど、ほどほどの酒は気分を明るくして友達でも同僚でも親睦を深めるし、明日の仕事への活力にもなるんだからいいんだよ」とか何とかエクスキューズつけるけど、ヤクやハッパの愛好者だって「ほどほどタシナメば気分が明るくなるし、アイディアややる気がわいてくるし、売り手に買い手、仲間との絆も大いに深まるぜ」と思っているかもしれない。

 違法か合法かは、まぁ素人的直感で言えば、人格を損なうほどの中毒に陥る速度と習慣性の抜き難さで線引きがされているのでしょうね。

それでも、“泡の出るalc.4.5%350ml缶”なんてぇお茶の間仕様の、小市民そのものな、ふにゃらけたやつを飲むときでも、「コレだってとことん飲んだら急性中毒で死ぬんだよな」と、ほどほどの緊張感を味のスパイスにすべく“危険な匂い”を敢えて思い出してみることはあります。

「人間のカラダは害なものは拒否するようにできているから、死ぬ前に一応吐くけど」とか。

 もっとヒネクレた見方をすれば、ヤクハッパが非合法で、酒が合法なお茶の間商品とされたのは、結局“その製造取引販売を生業とする人の数の多さ”“その業者たちが持つ行政立法への影響力”の差ではないかなとも思います。ヤクハッパも医薬品としては大勢の業者さんの生業となっているでしょうけれど、嗜好品としての市場価値がどれだけの人間、及びそのご家族の生活や子弟の教育や老後を支えてきたか、現に支えているかという点では、“酒造業”“酒類卸販売業”の伝統と歴史には及ばないのではないでしょうか。

 タバコがこれだけ健康に害がある、重い病気のリスクを高める、寿命を縮める、環境を汚染する、まだ生まれてもいない胎児にも悪影響がある、といろんな媒体でクチを酸っぱくしてアナウンスされていても「そんなに百害あって一利ないなら、タバコの栽培製造取引をいっさい禁止し、地球上からタバコというものを根絶しましょう」という論調にはならないのは、何だかんだで“タバコに関わることで食っている人たち”の人数がすでに多すぎて、いきなり彼らを路頭に迷わせることはできないし、選挙における彼らの票も無視できないからだと思う。

結局人間社会において、人数が多く声の大きいものは、無くはならないし、大手を振ってまかり通り続けるのです。

 624日発売のTVブロス627日号巻頭特集「ああ気持ち悪い!他人のブログ」に、かつての(いまもか?)ネット界の寵児で、数々の“炎上”体験を持つホリエモンこと堀江貴文さんのインタヴューが載っており、堀江さん「いま“なぜ朝食には納豆なのか”という問題提起をしている」とのこと。

堀江さん「イソフラボンがどうとか栄養があるとか言うけど、カラダにいいものは他にもたくさんある」「歴史をたどって行くと、水戸の納豆業者が全国にマーケティングをしてね、どうやったら納豆が流行るのかってことを、バレンタインチョコ的に広めたんじゃないかと思うんですよ」とさすがは元・ネットコマースの雄だけあってそこそこ鋭く分析されていますよ。

日本は日本でも西日本の人はおしなべて食習慣に納豆がないし、九州は福岡生まれ、福岡育ちの堀江さん、媒体で「健康のため納豆推奨」の論調を見かけるたび“こんなに美味しくないものがなぜこんなにメジャーで良いぞ良いぞと喧伝され、みんなそれに乗って買って食べてるのだろう?”と疑問に思っておられた様子。堀江さんの思考としては自然に“マーケティング”の潜在暗躍に思い至ったのでしょう。

“炎上”体験豊富な堀江さん、「子供の頃は納豆なんて食えなかったけど、いまは明太子を混ぜるとうまいと思える(←さすが福岡人)程度には食べれる」とフォローしてますが、インタヴューを「もっと栄養のあるモノってあると思うんですよ!」で〆ておられますね。とにかく、世間的賛否や合法/非合法の区分根拠には、サイエンスや合理ではなくすぐれて人文的な、アナログなナニモノかがあるということです。

『夏の秘密』49話。このところ杏子(松田沙紀さん)の動きがますます半径を拡げ、アグレッシヴに闊達になってきましたね。ビジネスパートナーとして、修業時代をともにした戦友としても、表向き紀保(山田麻衣子さん)の信頼を得ているだけに、翻弄される龍一(内浦純一さん)は巻き込まれ被害者のよう。紀保と龍一を引き離そうとなぜか策動を繰り返していましたが、48話で「…死んだ女よりも もっと哀れなのは 忘れられた女です」というマリー・ローランサンの詩を紀保に引用して聞かせていました。ローランサンと言えば画家、詩人として、あるいはギヨーム・アポリネールとのそれこそ“同志”的関係でも文学史上有名ですが、結婚経験者でもあるにもかかわらず本質的に“女性が好き”な女性だったことでも有名です。やはり杏子は本質としてそっち系の人なのかな。

コメント
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