昨日の部分的な続きになりますが、正直、TV素材としてのイチロー選手を、月河がはなからあまり好きじゃないということは認めます。
理由は“おもしろくも可笑しくもないから”。
「攻守走揃って上手いなあ」「成績・記録すごいなあ」「自分に厳しくて偉いなあ」とひたすら賞賛しリスペクトする以外、消費のしようがないんだもの。
イチロー選手が“ハタチの首位打者”として本格開花した頃のオリックスに比べて、ここ数年のシアトル・マリナーズがあまりに弱小で、BS中継もワールドシリーズを争うような“ベースボール”として高レベルに、あるいはわかりやすくスリリングに緊迫した場面もなく、ひたすら彼の個人成績を追跡称揚する以外見どころがないことも関係しているかもしれない。
むしろ、投げる前からカネ幾らもらったの話題ばっかりでメジャーデビュー、見るたびに肥って髪の色もいろいろになり、不精なのかファッションなのかわからんヒゲ伸ばしたり剃ったりしてバカヅラさらしている松坂大輔投手のほうが、TV素材としてずっとおもしろく、映っていると、快投してようと打たれてようとついチャンネルを止めてしまうくらいです。
…しかし、イチロー選手をTVで取り扱うときの空気がどうにもイヤな理由は、イチロー選手ご本人とは別のところにある。
イチロー選手より数倍“おもしろくも可笑しくもない”素材はいくらでも存在する(ひと頃の叶姉妹、ちょっと前の亀田一家、橋下知事…)のに、それらを扱った番組はさほど不快もなく流し見ることができたりしますからね。
つまりね、国籍ウンヌンを超越して、ICHIROと言えばもうMLBを代表するプレイヤーですから、イチロー選手をTVで取材し番組作ろうと思ったら、手続き方法論的にMLB流、USA流にある程度従わなければならない。日本のスポニチ流、ゲンダイ流、TBS流はもちろん、NHK流でもそのままでは通用しないところがあるわけです。やっぱり日本は敗戦国だから、旧占領国のUSAはいまだに敷居が高いんだね。
それプラス、イチロー選手本人の求道者的ビヘイビアもあって、メディアは彼を採り上げるときは、みんな微量、微量でも明らかに、根底では卑屈なくらい、緊張している。
一歩譲ってそれは別に悪いことではないと認めるにしても、日本で放送されるイチロー番組、あるいは番組内イチローコーナーには軒並み“緊張し、お茶らけないで製作してることを手柄にしている”空気がある。
イチロー選手を扱ったTVを目にするたびなーんかイヤな気分になる原因はここだと思う。お茶らけを封印して、シリアスに、取材対象への尊崇の気持ちを第一義にして謙虚に作るのは結構だが、それは作る側の胸三寸であって、実際出来上がって視聴者に供される番組の品質を保証するものではない。
お茶らけない=(イコール)TV番組として良質でグレードが高いと決まったわけではないのに、決まってるような顔して供してんじゃねぇよ、ってことです。