イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

加齢なる人生

2007-03-30 21:44:39 | テレビ番組

最近の高齢者は昔に比べて若々しい、とよく言われます。確かに昔、月河が物心付いた昭和30年代末~40年代初期辺りのお年寄りたちは、本当に老人然、老婆然としていました。いま60代ならまだバリバリ働いている人も多いだろうし、では70代に入ればめでたく名実共に老人扱いでいいかと言えば、まだお互いに躊躇する。医療や衛生、栄養状態などの進歩改善で平均寿命が伸びたからこそでしょうし、社会的にも街の風景としても、爺むさくない、元気で身奇麗で若々しい高齢者が多くなって悪いことはひとつもありません。

しかし、この“昔に比べて若々しい現象”はどんどん低年齢化していて、最近は50代も、40代も、ヘタすりゃ30代もその年代に見えません。このへんは医療より、化粧品の向上と情報普及が大きいかもしれない。最近は40代で高校生の子供がいても、昔ながらのくるくるおばさんパーマやババア引っつめの女性はほとんどおらず、フルタイム共働きのキャリアママだけでなく、パートや専業主婦でもカラーリングありのシャギー入りストレートで、体形以外娘さんとほとんど違いがなかったりします。

悪いことはなくても、困ったことがひとつあります。昔は確かにあった“トシ相応”という概念が、どう言うの?確固たる固形でなくなり、砂粒のように微細化して空中に散ってしまったような気がするのです。実年齢より若々しいほうへ若々しいほうへと全員の欲求のベクトルが伸び、環境やツールの進歩の恩恵で、人それぞれ大成功したりかなり失敗したり結果を出して、大差がついたり小差がついたり、もみ合ったり逆転したりしていくうちに、いつの間にか、ある年齢で、どんな風体でどんな身のこなし、クチのききかたをして、何をたしなみ、どんな了見で生きてれば“その年齢相応”なのか、誰もわからなくなってしまった。コギャルブームの頃から女子高校生・中学生の厚化粧も当たり前になっているし、若者比率の高い街をちょっと歩けば、制服姿でもお水のおねえさん並みに疲れた色気を振りまく少女、眉剃り込んで髪立てた休日のホスト風少年も普通に見かけるようになってきたので、“トシ相応”は上からは下へ、下からは上へと圧力かけられて、ますます細かく粉砕され、霧のかなたに見えなくなりつつあります。

なぜ急にこんなことを考えたかというと、05年のドラマ『熟年離婚』の再放送を先日見かけたからです。ここでは渡哲也さんが60歳の定年退職を迎えた夫=父親に扮しています。放送時渡さん実年齢63歳。“リタイアしたけどまだまだ男盛り”を十分演じられると思いきや、実は91年のガン手術と人工肛門装着カムアウト以降、“男っぽくハードでワイルド”という大門団長のイメージはご本人サイドやファンが思う以上の速度で維持が難しくなって来ています。役者としてより石原軍団のトップ、社長という地位での露出機会が増えるにつれ“寄る年波できついのに亡き裕次郎さんの後継として、後進のために頑張ってる”という色合いのほうが濃くなりまさり、いまや客観的には“実年齢より若々しい”との合意を取りつけるのは明らかに苦しい状態です。

渡さんのみならず、共演陣も問題山積。長女役の高嶋礼子さんは役の性格そのものが“結婚しても現役の女でありたい”設定な上、04年のSPドラマ『弟』で母と息子役で共演済みの徳重聡さんが今度は弟役なので、若作り感2倍増し。夫役西村雅彦さんは大方の流れと反対に“若いのに禿げてて、若く見えない”をチャームポイント(?)に10余年前表舞台に出て来た人で、実年齢(本放送時44歳)がルックスに追いついてくる(=禿げてても不思議のない年齢になる)につれ、ブレイク時についた“若いのに若く見えない”というイメージが邪魔になってきました。

次女役片瀬那奈さんは99~00年頃、妹キャラのアイドル路線で出てきたものの、そっち方向では一度も大ブレイクすることなく、劣化も新展開もあまりないまま妹キャラがきつい年代に入ってしまい、不発弾みたいな、“密度の濃いトウの立ちかた”を呈しています。インディーズのロッカーに熱を上げ結婚したがっているという設定も、不思議に末っ子らしい無邪気さ無鉄砲さより、“残り少ない若さへの執着”を強調しているように見えます。

長男役、ご存じ“二十一世紀の裕次郎”徳重聡さんは放送時実年齢27歳ですから、司法試験浪人役は手ごろな年格好のはずですが、いまだ石原軍団色の強い作品でしか見かけず、“軍団の末弟”という不動のポジション、『弟』で裕次郎の壮年期までを演じたことも相俟って、ガタイや演技の荒削りさとミスマッチな、妙にちんまりした老成感が漂っている。

こうなると、“俵はごーろごろ”状態のかつての愛の水中花・松坂慶子さんがいちばん素直でわかりやすいババア化な分、観ていて疲れが少なかったりします。

平日昼間の再放送だったので、ウチの高齢在宅家族が結構見ていたのですが、耳が遠くセリフが8割がた聴き取れないため、“誰が誰の何に当たるのか”を説明し理解させるのにえらい手間がかかり、また何度説明しても翌日同じことを訊かれたものです。それもむべなるかな。年いってる役の人が若づくり、若い世代の役の人が若さ炸裂でないので、絵ヅラの年格好から人間関係を推定するのが難しいのです。

トシ何歳ぐらいに見える人が、何歳ぐらいに見せたがっているのか。自分で「これぐらいに見えるだろう」と思っている年齢「これぐらいに見られたい」と願う年齢、外から「あの人○歳ぐらいに見えるけど、ホントは×歳ぐらいだよね」と値踏みする年齢が交錯し、混乱し、迷走するルツボのような状態。このドラマは、まさに現代社会そのものです。

最近はトシをとることを“老化”でなく“加齢=aging(エイジング)”と呼び、必ずしもマイナスにとらえず自然現象として受け容れる方向になっているとか。“美しく年を重ねる”なんて言い回しも、化粧品のCMだけでなくあちこちで見かけます。

しかし、いまの時代“美しく”なんてカンムリを付けないで、単純にトシをとること自体のほうが難しい。年くってるほうは若々しさを志向し、若いほうは若さを謳歌するより老成を急ぎ、結局、みんな幾つに見られたいんだ。幾つで時間止まってほしいと思ってるんだ。ジタバタしないで“トシ相応”で行こうよ、と言っても、すでにその“トシ相応”が何処にあって、具体的にどんなものなのか、誰も想像もできない。

“みんなが昔より若々しい”というすこぶる結構な状況と引き換えに、私たちはもっと大切なものを失ったのではないでしょうか。…なんて、ちょっと大袈裟にまとめてみました。

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