イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

金で心を汚してしまえ

2007-03-06 16:11:51 | テレビ番組

森進一さんと川内康範さん、修復は難しそうですね。この騒動、何が空しいって、“過去の人”同士なんですよね。どちらも、斯界の第一人者として一世を風靡したキャリアをお持ちの、押しも押されもせぬ大御所なんだけど、語られるのは過去の、大昔の業績のみ。川内さん84歳、“ないがしろにされた、されない”にひときわナーバスになるお年頃だし、森さんは森さんで離婚騒動以降、すべてが裏目、裏目。どちらかが、いま飛ぶ鳥落とす勢いの登り坂の人だったら、ここまではもつれなかったと思うんですが。

それでも、現在がどんなに泥まみれであろうと、過去の作品の輝きは色あせないのはモノを作る人の強みですね。

森さんは昭和22年11月生まれ。もろ団塊世代。子供心に、白黒TVで初めて見たのは昭和44~45年だったと思いますが、『花と蝶』『年上の女』『港町ブルース』などを歌っておられたのは21~22歳の頃だったんですね。いまならぶりぶり、アイドルの年齢じゃないか。そういう時代だったんですね。すべてが背伸び、スタックアップ。

73年の『冬の旅』、74年『さらば友よ』ぐらいから、やっと実年齢と歌う世界が一致してきたのかな。当時はTVの歌番組で、いまNHKBSでやっているような演歌主体の番組がなかったので、AMのラジオぐらいでしか聴くことがなかったけれど、77年の『東京物語』や80年の『恋月夜』などは独特のバタ臭いリズムがあって大好きでした。ド演歌でも、J-POPでもない、雑食的な“歌謡曲”がいちばん似合う人。

とにかく声質がオンリーワンだし、もっといろんな歌を歌ったらよかったんじゃないかと思うんですが、日本が貧しかった時代の影を良くも悪しくもあまりに色濃く引きずって世に出てきた人なので、技術のわりに引き出しがあんまり無かったんでしょうか。おぉーって言わせるほどの作品はその後無いまま、最近は体調もすぐれないのか、歌い手としてのポテンシャルも縮んできてしまったようです。

対する川内康範さん、作詞家としては森さんに提供してるだけじゃなく、内山田洋とクールファイブ『逢わずに愛して』なんてのもありましたよ。これねー。ひと頃、カラオケでよく歌ったなぁ。と言うより、この曲得意な人(←彼氏じゃないですよ)によくカラオケ連れてかれたなぁ。♪あぁあトワに散りばめ~逢わずに愛して…の散りば“めぇ”~を長めに伸ばして、“逢わずに”の“逢”を目いっぱい先送りにするのがキモらしいですよ。

…まぁそんなことはどうでもいいんですが、川内さんと言えば、なんたって72~73年に放送された『レインボーマン』ですよ。58~59年の『月光仮面』のほうがメジャーかもしれませんが、そこまで遡るともう月河世代にはリアルタイムではなくなってしまう。

主役のレインボーマン変身前ヤマトタケシに水谷邦久さん。これ以前、70年『金メダルへのターン』でヒロインの彼氏を演じ、71年の推理サスペンス調『クラスメート ~高校生ブルース~』でも似たようなさわやか優等生に扮していました。脇を小泉博さん、井上昭文さん、本山可久子さん、平田昭彦さん…と東宝映画特撮系には欠かせないベテラン名優勢が固めていました。

そしてレインボーマンと言えば『死ね死ね団のテーマ』。もう、すごいよ。いきなり♪死ね死ね死ね死ね死んじまえ~ですからね。放送コードがいまと比べ物にならないくらい緩かった時代とは言え、ある意味勇気ある、川内さんでなくては書けない詞ですよ。「ヒーローの宿敵ならこれくらい邪悪でないと!」という思い切りが心地よい。

死ね死ね団は“日本人を根絶し、日本という国をこの世から抹消する”ことを目的とした秘密結社なのですが、♪死んじまえ~の後には♪黄色い豚めをやっつけろ/金で心を汚してしまえ(1番)♪黄色い猿めをやっつけろ/夢も希望も奪ってしまえ(2番)と続きます。

時に72年(昭和47年)。この後の日本の経済成長、“ウサギ小屋に住む働き中毒”と嘲笑われながらガツガツ国際市場に売って出て経済摩擦を引き起こし、一時は揶揄まじりに“JAPAN as No.1”とまで称されたことを思い出すと、児童向け番組の歌詞にこれを書いた川内さんの慧眼に驚きます。カネ、そして夢と希望。

一部報道が誇張して、あるいは省略して伝えるように森さんが川内さんのクレームに「『おふくろさん』はもう(30年以上歌ってきた)僕の歌」と返答したとすれば、それは心得違いというものだし、川内さんがそれを取り上げて「森は心が卑しい」とはねつけたとすれば、ご高齢な分を情状酌量するとしても、それまた了見の狭い話。『おふくろさん』はもう作った人の作品というより、いち歌い手の持ち歌、看板曲というより、あの時代にこの歌を聴いて心慰められてきた日本人全員のものでしょう。日々の仕事に打ち込み汗するモティベーションの中に、巨万の富や豪邸億ション、美食、クルマ、ブランド品などではなく“親孝行”が確実にあった時代。

著作者、表現者の権利以上に、守られなければならないのは、歌を聴いて楽しみ、何かを感じて生きていく糧にする、一般の人たちの権利だと思います。

森さんの『おふくろさん』をレパートリーとしているモノマネ芸人さんたちなんかも困ってるでしょうね。森さんのモノマネと言えば、どう考えても『冬の旅』や『恋月夜』ではなく、『襟裳岬』かコレでしょうしね。営業で歌うの遠慮しているんじゃないのかなぁ。いい加減、早めの解決をお願いしたいものです。

コメント
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