数字的にはともかく、作品としてはすでに敗色濃厚な『華麗なる一族』ですが、人物紹介・設定紹介の終了した2話以降に劇的“確変”する連続ドラマは少なくないので、一応期待は持って2話を録画視聴。
なんかねぇ、返す返すもバランスが悪いんだなあ。開始4分少々、鉄平妹・二子(つぎこ)が家族に内緒で交際している若手技術者四々彦(よしひこ)に会いに工場に訪ねて来たところに鉄平が来合せ、二・四カップルのアチャー、タイミング悪い…→お嬢さま二子の工場飯場初体験→度胸と遠慮なさで上回る二子から「お兄様にお話が」と切り出したものの鉄平に「好きな人が出来た話か、そうなんだよ驚くだろ?二子にもそういう人が出来たんだよ」と先回りされて→四々彦「すみません専務っ!」と自爆→二・四目配せし合って固まる→鉄平「…え、コレ?四々彦くんか?」「…ハイ」「どうもっ、すいません!」「あーいえいえ」…このくだり、約2分50秒。あーーー古い、ぬるい、トロい。ぜんぶお約束、お約束のカッタマリ。しかも、最終的に「万俵家という歪んだ家庭に育った妹が、地位や名誉に関係なく純粋に人を好きになっていたことが、鉄平はとても嬉しかった。」って結局ナレーションで説明してやんの。これかぶせるなら、セリフも時間もこの三分の一でいいよ。
やたら工員たちが集まって、専務の「高炉建てる」のひと言でウォーってコブシ振り上げたり、肩組んで(何か歌唄ってるヤツもいる!)横列行進したり、スクラップ買い付けできたと聞くと手に手にメット振ってトラック上ってカチドキあげたり。監督も脚本家も、昭和の鉄工労働者・現業職ってものを根本的にバカにしてないか。
専務のひと言であれスクラップの山であれ、そこを大勢の人間の感情の波頭が砕ける頂点にすべき脚本・演出上の伏線を丁寧に敷いていないので、エキストラのアタマ数使って豪華感・スケール感を出そうとすればするほどカラ回るカラ回る。計算して昭和的アナログ感を演出しようとしているんじゃなく、普通に作り方がヘタなんだとしか思えません。
部分的には魅力的なところも無いではない。2話では鉄平が夜半、万俵家池畔に佇む場面は見ごたえがありました。従業員たちにはポジティヴに語っていても、リスクの高い高炉建設、内心はまだ迷っている鉄平が、心の拠り代とした将軍鯉は物言わず(当然だが)水底に去り、何かを内に秘めて語らない母・寧子にも背を向けられて、虚空にひとり置き去りにされたような思いを噛みしめる。もちろんナレーションは無し。この演出家さんは群像をロングでとらえる大仰なスペクタクルより、こういう静的なシーンをこそ得意としているのではないでしょうか。木村拓哉さんも何だかんだ言ってもアイドル出身なので、セリフ回しや固い用語の滑舌に少々難があっても、顔面の表情の細かな出し入れで内面の機微を表現する力はあります。
前出の古・ぬる・トロ三重苦シーンにしても、相武紗季さんの微笑ましい存在感は一服の清涼剤。見るからに“慣れてませーん、でも頑張ってまーす”な傘持ちお嬢さま歩きなど、やたら重々しく様子ぶらせた物語世界の中、出てくれば安心して笑えるキャラは貴重です。
さて来週どうするか。「そのうち面白くなるかも」という期待でズルズル録画を続ける視聴は不毛だと、もうじゅうぶん学習はしているはずなんですが。その“面白くなるかも”という期待の根拠が「カネかかっているから」…うーん、輪をかけて不毛だなあ。