イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

昭和は最も難しい時代劇

2007-01-15 20:12:42 | テレビ番組

日曜21:00~『華麗なる一族』、昨年夏頃からネットで情報が散見されるようになり、74年の山村聰・加山雄三さん版を思い出して、2007年は久しぶりにゴールデンの連続ドラマにはまるか!と大いに期待を持って観たのですが、残念。

投じた製作費の額を誇るかのようなゴージャスな邸内セットや海外ロケ、大人数のエキストラを投入したパーティーや晩餐の群衆シーン。しかし、舞台装置や道具に凝れば凝るほど、この原作を映像化するにいちばん大切な“昭和40年代初頭、高度成長真っ只中の日本の熱気”が書き割りに描いたように嘘っぽくなるばかりで、まったく画面やセリフから伝わって来ません。

物語の枠組みとなる当時の経済情勢、業界用語の説明ばかりか、人物の誰が誰に対してどんな感情を持っているのか、それは過去の何に由来しているのかまで懇切丁寧に、まるで原作の地の文をそのまま読み原稿にしたような、白けるナレーション。

しかもナレーションのほかに、木村拓哉さん扮する主役の万俵鉄平の内的独白まで挟まれるので、誰視点で語られる物語なのか、“重い地位を背負って激動の時代を愚直に生きた財閥長男”の個人目線なのか、“きらびやかな外見の中に醜怪な欲望と葛藤を秘めた一族を、天から見下ろす”神目線なのか、さっぱりわからない。

淡々としたシーンにまでクライマックス級の、ハイテンションで大仰なフルオーケストラのBGMが流れっ放しなのも、かえって演出の起伏や緩急を平板にしてしまっていました。

いや、そんな末節なことよりも、このドラマを制作した人たちには、基本的にあの時代に対するリスペクトが無いのではないでしょうか。戦後の荒廃からようやく立ち直り、技術革新や鉱工業生産力の拡大発展、それによって得られる物質的な豊かさが自他ともに幸福に結びつく…と、経営者も管理職も平社員も、その妻や子供らに至るまで、誰もが信じて疑わずにいられた最後の時代。それが昭和40年代前半、オイルショック前の高度経済成長時代です。

原作どおり冷徹な銀行頭取・万俵大介主役の物語にせず、製鉄こそ近代化の礎と信じ、より良質な鉄を作り出すことが日本を良くする、日本を変えられると熱弁をふるうエンジニア・鉄平を悲しくも美しいヒーローの位置に据えたのですから、何をさておいてもあの、儚い夢と希望に満ちた時代をもっと知り、愛し、寿(ことほ)ぐ製作姿勢がなければ、このドラマは成立しません。

当時の神戸・三宮を再現するために上海ロケを敢行したそうですが、商店看板や路面電車をいくらお化粧しても、通行人役エキストラの人々の顔が軒並み2006年の、日当で雇われた中国人の顔。日曜深夜の『NHKアーカイブス』で昭和の日本の都会の雑踏シーンは白黒映像ででもよく流れますが、日本人は、貧しく発展途上の時代でも街行く人々はもっと活き活きした表情をしていましたくたびれた人はくたびれたなぁという顔をしていたし、浮き浮きしている人は浮き浮きした顔を、イライラしている人はイライラした顔をしていた。中国の人は、日本のTV局からいくばくかギャラもらって「こっちからこっち方向に歩いて下さい」と言われても、中国人独特の“没有表情”なのです。これでは高度経済成長期、大阪万博に心はずませていた頃の関西の熱気など期待するべくもありません。

そもそも、日本のTV局が日本を舞台にしたドラマを企画して、“日本の過去のある時代”を再現するためのロケーションを外国に求めてしまう時点で、かなり黄信号ではないでしょうか。

大作のために選ばれた人たちだけに、俳優さんたちはみんな持ち味を活かして健闘しています。北大路欣也さんは悪辣・冷血なだけではない財閥総帥の責任感、亡き父へのコンプレックスを抑えた演技で見事に表現しているし、原田美枝子さんと鈴木京香さんの“太陽と月”のような色香の対比も素晴らしい。キャスト中ドラマ経験がいちばん浅いであろう相武紗季さんの初々しいぎこちなさも、世間知らずに育った娘の、閨閥作りの道具として使われることへの嫌悪感や恥じらいを期せずして醸し出していました。

髪型や独特のセリフ回しが“いつものキムタク”過ぎて時代設定や役柄に合わないと指摘される木村さんにしても、鉄平には“財閥御曹司”“理想家の技術者”の顔のほかに、“建前と本音を分けられない不器用さ・義理堅さゆえに、妻子や目下の現場技術者たちからは慕われる人情家”“弟に比べて自分を冷遇していると感じる父に対し徒手空拳で反抗する青臭さ”の側面もあり、この面に関してはとてもうまく表現できているし嵌まっています。ただ如何せん“机上の計算や対人交渉より、現場でモノづくりの汗や泥にまみれるのが何より好き”な、育ちの良さと対立しない、ほどのよいブルーカラー感がありません。仕立ての良いビジネススーツやトレンチコートは似合うのだけれど、作業ジャンパーやメット姿はなんとも頼りない。柳葉敏郎さん扮する盟友のサブバンク頭取に「鉄の話をし出すと止まらない」と好意をこめてコメントされるほどには、理系っぽさも技術畑臭もないのです。これは半分は木村さんの責任ではないと思います。一にも二にも、製作者側全員の、物語世界称揚とリスペクト体温の低さが影響しています。

第1話のクライマックスとなった万俵家庭園の池で大介と鉄平が対峙する場面に端的に表れていたように、企業ドラマ性を剥がすと、“父と息子のオイディプス・コンプレックス同士の衝突”に行き着く、骨子はとても古めかしいお話です。だからこそ“時代の気分の表現”には、セット組みやロケに幾らおカネをかけるなんていう範疇ではない、もっと内的な、脚本やセリフ構成、演出、カメラワークに根ざし枝葉まで血のかよう、細心の気配りを持って臨んでほしかった。憲法九条問題にからめて、戦争体験の風化、若い世代への伝達の希薄さが再三言われる昨今ですが、“戦後”“昭和”という最も近い過去すらリアルに伝えることが難しくなっている。

平成19年。私たち日本人は、虚空を飛ぶ一粒の砂、二度と固い地表に落ち着くことなく風のまにまに飛ぶ、寄る辺無き砂粒のような時代に生きているのです。

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