イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

“送りっ放し”と書いて“放送”

2006-12-12 16:35:19 | テレビ番組

もらった年賀状をいちばん丁寧に読むのは、届いた正月期間じゃなく、今年も年賀状出さなきゃなー、何件あるんだ…とやっと整理にかかった、12月も半ばのいまの時期じゃないかと思います。

ちょっとしたタイムスリップですよ。「2006年 元旦」「今年はサッカー日本代表を応援に嫁とドイツに行く予定です!!」…そんなこともありましたねぇ。どの試合を観たんだ。応援し甲斐が無かったろうなあ。後ろのほうに小さく「…でもチケット取れるのか!?」取れたのかねえ。いまとなってはどっちでもよかったね。

こんなのもある。「下の息子が今年高三になります。月日の経つのは早いものですね。」確かに月日は早いが、下の息子って、上も居たんか?ってなもんです。息子とわざわざ断ってるトコをみると、娘も一人や二人居るのかもしれない。一年に一度、年賀状でしか連絡を取り合うことがないと、申し訳ないけど、この程度の体温。こちらは、息子のウンヌンより本人の近況が知りたいんですけど。高3ね。履修不足は大丈夫なのか。

人の賀状見ての、こんな感想を教訓に、正月早々読む人に重い後味ものこさず、無味乾燥にスルーもされない、キリッとした一句を目指して、ただいま鋭意制作中です。

『紅の紋章』はその後、もうね、“ダメなドラマはどこがダメだからダメになるのか”の検証叩き台みたいになりつつあります。名門私立女学院では、ヒロイン以外ひとりも教師がフレーム内に現われず、ヒロインの担当する美術科以外の授業が行われている気配もないまま、教え子は(受験科目に美術がある筈のない)東大や早大に次々合格。相手役青年医師が父から継いだ大病院にも、部下となるヒラ医師がひとりも、廊下や敷地内をチラリと通りすがりさえしない。あろうことか入院患者の姿もほとんど(ヒロインと結婚した女学院理事長が重い心臓病患者として延々この病院に入院した以外)見えない。理事長には亡き先妻との間に息子と娘がいて、ヒロインも加わって一応プチ華族風な食堂で洋風の夕食や朝食をともにする場面は何度も出てくるが、この食事、誰が調理し配膳し、食器を下げ洗っているのかさっぱりわからない。

もはやヒロインの性格がどう、相手役の存在感がどうというキャラ立ち、キャラ作りの問題ではない。要するに、“旧華族の子女も多い名門私立女子高”“地元で高名な名医の大病院”“妻と死別した男やもめで、教育者であり大会社の社長である元・男爵の広壮な邸宅”という、昼ドラ的に現実離れした、うまく描写さえすれば夢々しくロマンティックな物語世界を、作り手たちがまったく理解せず、愛してもいないことが話数の進むごとにますます赤裸々にバレバレになってきているのです。

    「花飾(はなかざり)挿さむセザンヌ色の瓶(びん)」

昨年の賀状に作った句のひとつです。下五の“びん”に“壜”の字を充てるか、“瓶”にするか、足かけ2日考えて、こちらにしました。“瓶”ならば“かめ”とも読め、鶴亀の亀にもつながって新年の句によりふさわしいのではないかと思ったからです。“壜”のツクリの“曇”も軽く避けたい気持ちがありました。紅白のめでたい花の飾りが、美術の教科書にも載っているセザンヌの名画の空色の花瓶に挿された清冽なイメージで、正月らしい“晴れ”の気分を香り立たせるような句になってほしいと。

たった一文字の表記をどうするかで、作品の立ち上げる物語世界が変わってくる。難しいことだし、読み、受け取る人にどの程度伝わるかを思うと空しくもなる孤独な作業ですが、書いてモノを作る事のこれが醍醐味でもあります。

月~金オビで30分を三ヶ月と言えば、かなりな情報量で、相当濃密に物語世界を立ち上がらせることができるはず。多少、辻褄が合わなくても、ロマンティック過ぎて「あり得ねぇ~!」な世界であっても、あり得ないからこそ引き込まれる虚構の作り方があるはず。無いとは言わせません。たった三ヶ月前、『美しい罠』で見せてもらったばかりです。

ドラマとして結末が気になるからではなく、モノ作りの顛末として見届けるために、最終話まで視聴続けるつもりではいます。ここへ来てビデオも無事、買い換えゲットしたことだし(←嬉しいのかよ)。

コメント (2)
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