先日の記事で、占いについて考えました。
占いと占い師さんについて思うことは、私の場合、競馬予想と予想家さんに対して抱いている所感と似ているかもしれません。
いつも思うのです。「そんなに高配当で自信のある予想なら、なぜ新聞や専門誌に載せて、不特定多数の人に教えてしまうのか?」
他人になんか教えないで、ひとりでこっそり買ったほうが、オッズも下がらずまる儲けでウマーじゃないか。
結局、的中した場合の予想収益に的中確率を掛けて、テンビンにのせると、新聞社やテレビ局からもらうギャラのほうが、圧倒的に美味しいからなんですね。
つまり、予想家さんたちの“渾身の買い目”は、そんなに的中しないことを、ご本人たちがいちばんよく知っている。
彼らの推奨する通り、素人が買っても、彼らのギャラ以上には儲からないようになっている。
競馬予想家さんたちの存在意義は別のところにあるのです。
外れて損した場合(大半そうなります)、たとえば「I崎S五郎のボケ」「K木S保のアホ」「O川K次郎死ね」(←もう亡くなってました)などと、人のせいにすることができる。
ボケでアホで死んだほうがいいのは、本当は自分であるということを、いっとき棚に上げて、また次週の番組と出走予定表に目をランランとさせることができる。
愚かさや責任を、自分以外に転嫁することができるという“負の至福”のために、彼らは存在し、今週も来週もボケやアホをかましてくれるのです。
どうでしょう。占い、占い師さんの存在意義と、何処か似ていませんか。
どちらからも抗議と顰蹙の嵐でしょうけど。