retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京王線笹塚駅(笹塚一丁目 玉川上水)

2015-06-20 07:24:53 | Weblog
玉川上水、土手は、草で覆われている。
まだ、冬の名残り、枯草だが、暖かくなれば、さぞ、緑が、美しいことだろう。
斜面には、低木。
すでに、花も咲いている。
高原を流れる、小川みたいだ。
用水の場合、途中、次々と、分水していくので、通常の、河川とは、逆。
下流になっていくと、流れは、細くなっていく。
そんな、玉川上水に沿って、北西へと、向かう。
(2013年3月記)

京王線笹塚駅(笹塚一丁目 観音通り商店街)

2015-06-19 04:26:54 | Weblog
北西へ、歩いていくと、北東方向へ、観音通り商店街。
笹塚観音があるので、観音通り、というそうだ。
門前町のような、感じなのかな。
笹塚観音、江戸時代から、あるそうなのだが、明治時代初め頃の地図を、見てみると、ここらへん、田圃しかない。
甲州街道沿いに、建屋が、いくつか、並んでいるだけ。
明治時代初め頃、そうであれば、江戸時代も、同じはず。
笹塚観音も、昔は、ひっそりと、立っていたのだろう。
商店街が、できたりしたのは、市街化された、昭和の初め頃、かな。
再び、北西へと、歩く。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(笹塚一丁目 玉川上水の流れ)

2015-06-18 05:02:38 | Weblog
もはや、玉川上水は、完全に、消滅したのだろうか、と思いつつ、歩いていくと、しばらくして、川の流れ。
もっともっと、上流に行かないと、川の流れは、ないと思っていたけど。
意外と、こんな、都心で、川の流れが、あるとは。
もっとも、本来、用水なので、川の流れとは、違うのだが。
でも、用水が、川と、違ったとしても、この、細い流れは、感動的だ。
玉川上水の、流れに、沿って、さらに、北西へ向かう。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(北沢五丁目 玉川上水跡の道路)

2015-06-17 05:00:34 | Weblog
中野通りを過ぎると、緑道、公園らしさが、なくなる。
中野通り自体、昔から、ある、通りではないので、なんらかの、境界、ということもないはずだが。
とすると、湾曲部、牛が窪が、境目、ということなのかな。
都心の、寂れた、住宅地、そんな、感じだ。
さらに、歩いていくと、ついに、緑道は、なくなり、普通の、道路に、なってしまう。
北西へと、歩き続ける。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(北沢五丁目 玉川上水緑道)

2015-06-16 04:29:52 | Weblog
中野通りを渡り、再び、玉川上水緑道。
今度は、北西方向。
中野通りが、牛窪の中央を、通っている、ということだ。
さらに、牛窪川にも、沿っている。
おそらく、低地、湿地で、再開発しやすかったのだろう。
そういえば、実際、中野通り沿いには、そうした、大規模な、施設や、ビルが、並んでいるようだ。
玉川上水緑道、北西へと、歩いていく。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(大山町 中野通り工事現場)

2015-06-15 05:06:35 | Weblog
井ノ頭通りから南側、まだ、細い道。
拡幅して、中野通りにするのだろう。
細い割に、交通量が、多い。
途中まで、道路が、できてしまったからかな。
南へ、歩いていくと、東北沢駅がある。
つい最近だったかな、小田急線が、地下化されたのは。
地下化されたので、踏切は、なくなった。
それだけではなく、商店街も、なくなっていくのかもしれない。
中野通りになる、細い道も、商店街だったはずだ。
時代は、流れていく、ということか。
北へ。
玉川上水緑道へ、戻る。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(大山町 中野通り)

2015-06-15 05:03:47 | Weblog
すぐに、南北に伸びる、中野通り。
実は、けっこう、新しい道路だ。
その割に、もう、混んでいる。
やはり、必要な、道路だったということかな。
今のところ、とりあえず、渋谷北側を、東西に伸びる、井ノ頭通りと、結ばれている。
井ノ頭通り、西へは、環状7号線まで、伸びているので、そこまでは、接続されたわけだ。
今は、小田急線東北沢駅あたり、再開発をやっていて、そこまでは、中野通り、伸びるらしい。
そうなれば、渋谷の西側、山手通りまでは、結ばれる。
もっとも、そこまでだろうな。
さらに、南へ伸びて、246号線まで、なんて、あと、どのくらい、かかるのだろうか。
途方もない、年月が、かかるのだろうな。
ちょっと、中野通りを、南へ、歩いてみる。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(大山町 四条橋跡)

2015-06-13 06:09:47 | Weblog
南西へ、歩いていくと、しばらくして、四条橋跡。
もうすぐ、湾曲部の、南端。
とすると、近くには、牛が窪を形成した、小川の、泉が、あるはずだが。
もっとも、痕跡すら、残っていないだろうけど。
泉から、北へ、神田川へ、流れる小川、牛窪川、という名前だったのかな。
谷地、湿地を、形成して、流れていたようだ。
途中、甲州街道が、横切っていく。
甲州街道は、江戸時代、開通しているが、もう少し、前から、あったのだろう。
そこには、牛窪地蔵があるが、その頃、建てられたのだろうか。
さらに、南西へ、歩いていく。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(西原二丁目 消防学校)

2015-06-12 05:01:24 | Weblog
緑道、歩いていくと、東側には、消防学校。
開校したのは、大正時代初め頃。
場所は、皇居の、西側、麹町。
昭和の初め頃、ここから、北側、幡ヶ谷に、移転している。
都心か拡大し、郊外が、広がり始めたことに、よるのだろうか。
都心中心部にあった、施設が、外側へと、移転しているようだ。
消防学校も、その一つなのかも。
戦後、しばらくして、この地に、移転。
当時は、長閑な、場所だったのだろう。
再び、緑道、南西へ、向かう。
(2013年3月記)

京王線幡ヶ谷駅(幡ヶ谷一丁目 玉川上水緑道)

2015-06-11 04:41:45 | Weblog
甲州街道に沿っているはずの、玉川上水、だんだん、南西へと、向きを、変え始める。
実は、尾根そのものが、そうなっているらしいからだ。
尾根は、南側に、湾曲し、湾曲した間は、牛が窪、という窪地になっている。
窪地からは、泉が湧いていて、北へ流れ、神田川に、合流していたらしい。
道路なら、なんとか、窪地を、横切れるが、用水は、かなり、難しそうだ。
ということで、窪地を避け、尾根を、辿ったのだろう。
緑道、南西へと、歩いていく。
(2013年3月記)