retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

埼京線赤羽駅(赤羽西二丁目 赤羽西口本通り道路予定地)

2015-01-21 05:39:16 | Weblog
再び、南北に伸びる、赤羽西口本通り。
相変わらず、拡幅工事中だ。
ずっと以前から、やっているような気がするけど。
おそらく、赤羽駅西口が、整備され、その後、その延長として、拡幅工事が、始まったのだろう。
あるいは、バブルの頃、駅前だけ、整備され、郊外が、衰退するに、及び、道路の、拡幅が、始まったのかな。
赤羽西口本通り、さらに、南へと、歩く。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽西一丁目 静勝寺)

2015-01-20 05:41:31 | Weblog
石段を、上ると、城跡、なのだが、今は、静勝寺、となっている。
創建は、江戸時代の前、室町時代。
まだ、戦国時代になっていない頃。
太田道灌が、亡くなった後、とすれば、やはり、稲付城は、太田道灌と、所縁が、あった、ということだろう。
静勝寺についてだが、もともと、城内に、あったのか、城の代わりに、建てられたのかは、わからない。
次第に、代わっていった、というところかな。
石段を降り、東へ。
もと来た道を、戻る。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽西一丁目 稲付城跡への石段)

2015-01-19 05:42:30 | Weblog
しばらく、南へ歩き、西へ。
細い道を、入っていく。
ほどなくして、急な、石段。
石段の上は、稲付城の跡、となっている。
戦国時代の前、室町時代。
太田道灌によるものらしいが、本当だろうと思われる。
稲付城の、直下には、南北に、鎌倉街道が通り、その北には、川口の渡し。
鎌倉時代には、関も、設けられていたようで、まさに、交通の要衝。
城を、設けるには、最適の場所だ。
石段を、上ってみる。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽西一丁目 赤羽西口本通り道路予定地)

2015-01-18 07:08:52 | Weblog
駅西口からは、南へと、伸びる、赤羽西口本通り。
赤羽西口本通りを、南へと、向かう。
駅近くは、完成しているが、しばらくすると、拡幅工事中。
ただ、明治時代初め頃の、地図を見ると、幹線道路、だったらしい。
とすると、江戸時代、いや、もっと、以前から、幹線道路、だったのだろう。
実際、今の、渋谷、新宿、池袋、東側を、南北に、伸びる、鎌倉街道、だったのだ。
今になって、整備される、というのは、不思議なものだ。
赤羽西口本通りを、さらに、南へと、歩いてみる。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽西一丁目 赤羽駅西口メインストリート)

2015-01-17 07:14:52 | Weblog
通りは、カーブを、描きながら、東へ。
弁天通りあたりまで、街並みは、古いのだが、そこから先は、新しくなる。
弁天通りは、あとで、訪れるかもしれない。
東へ歩いていくと、駅前までは、バブル期以降、完成した、街並み。
といっても、バブル期も、今は昔。
将来は、弁天通りと、同じに、なっていくのかな。
もう、閑散としているし。
駅前に、向かって、東へと、歩いていく。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽台三丁目 赤羽緑道公園)

2015-01-16 05:45:15 | Weblog
歩道橋の下、再び、潜る。
せっかくなので、歩道橋の上へ。
歩道橋の上は、赤羽緑道公園、となっている。
かつての、陸軍兵器補給廠専用線の跡。
戦前は、貨物列車が、走っていたわけだ。
今は、静かな、緑地帯。
暖かくなれば、緑が、生い茂ることだろう。
歩道道の下に降り、再び、南へと、歩く。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽台四丁目 赤羽台さくら並木公園)

2015-01-15 05:47:19 | Weblog
諏訪神社、創建は、鎌倉時代が、終わった頃だろうか。
古い神社だ。
今の、赤羽駅西側、南北に、鎌倉街道が、通っていたので、神社も、あるのだろう。
他にも、古い、神社、寺社が、多い。
諏訪神社から、もと来た道を、引き返す。
沿道には、桜が、植わっているらしい。
通りの東側、赤羽台さくら並木公園。
春になれば、さぞ、美しい、景観なのだろう。
通りを、南へ南へと、向かう。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽北三丁目 諏訪神社)

2015-01-14 05:48:12 | Weblog
凝ったデザインの、歩道橋。
高度成長を達成した後、安定期、作られたのだろうか。
トンネルが、開通すれば、交通量が、増え、歩道橋が、必要とされるわけだから、おそらく、そうだろう。
といっても、そんなに、どころか、ほとんど、クルマは、通らない。
デザインも、凝っているので、静かに、佇む、その姿は、まるで、公園の中の、歩道橋みたいだ。
さらに、歩いていくと、しばらくして、諏訪神社、がある。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽台三丁目 赤羽緑道パークブリッジ)

2015-01-13 04:48:55 | Weblog
道路は、徐々に、下り坂になっていく。
台地から、下っていく感じ。
このような、高台は、本来、住環境が、いいので、山手になるのだが。
赤羽の場合、そうは、ならなかったようだ。
明治時代から、昭和にかけて、一帯には、軍事施設が、広がる。
都心とは、離れていて、そのような、街並みとは、無縁だったのかな。
都心なら、高台に、山手、その近くには、下町、というふうになる。
下町には、商店街、繁華街、あるいは、歓楽街。
などと、考えているうちに、東西に伸びる、歩道橋。
赤羽緑道パークブリッジ。
よく整備された感じがする。
(2013年2月記)

埼京線赤羽駅(赤羽台三丁目 団地内北西に伸びる道)

2015-01-12 07:10:25 | Weblog
トンネルを、抜けても、その先、まだまだ、団地は、広がっている。
ところで、このような、団地、以前は、どうなっていたのだろう。
以前は、赤羽ハイツ、という、米軍の、住宅地。
戦前は、陸軍被服本廠。
陸軍の、軍装を、製造していたようだ。
陸軍被服本廠だけではなく、そのまわりには、火薬庫、兵器庫、工兵隊駐屯地、等が、広がっていたらしい。
赤羽駅西側の、台地は、軍都、だったのだ。
(2013年2月記)