retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

川口駅西口(ドリームタワー キュアレジデンス)

2007-07-21 13:33:34 | Weblog
スカイマークタワー川口からメインストリートで川口駅に戻る。
途中、メインストリートの南側、少し街中に入ったところにドリームタワー キュアレジデンスがある。まだ工事中だが、完成間近だ。(2007年2月に竣工したらしい)
川口駅西口では今のところ、最後の高層住宅だと思う。
西口には、駅前を包むように伸びる大通りがあるが、その内側に高層住宅が集まっている。
その大通りが、旧来の住宅地と新しいニュータウンとの境界線のような感じだった。
しかし、西側に伸びるメインストリートに沿って、その高層住宅群が西へ突出してきていいる。
その突出したビル群の一つがドリームタワー キュアレジデンスである。
もっとも、その拡大も、もう終わるだろう。メインストリートも途中までだし、駅前を包むように伸びる大通りも、途中でぷっつりと途切れてしまう。
なにかすべてが中途半端な感じだが。
駅周辺だけ、整備された未来都市だが、その区域を一歩でると、昭和の時代からの旧市街地が広がる。そして、その旧市街の中にマンションがぼこぼこ建っているだけ。
しかもその未来都市も完成せず、中途までで唐突に終わっている。
別にこれは川口に限ったことではないが。
バブル期の地方の発展は終わり、その後は、集積化され巨大化する都心部に飲み込まれていくものと思うが、これからはどうなるのだろうか。
(2006年12月記)

川口駅西口(スカイマークタワー川口)

2007-07-20 23:56:49 | Weblog
練馬駅に戻り西武池袋線に乗る。池袋で埼京線に乗換え、赤羽駅へ。
さらに京浜東北線に乗換え川口駅で下車する。
川口駅は一応、西口は住宅街、東口は繁華街になっているが、西口、東口のかわりなく高層住宅が林立している。
これだけ高層住宅があちこちに密集して建っている場所というのは思いつかない。
まずは西口へ。西口、東口、両方ともペデストリアンデッキが伸びているが、西口は、もう駅前からニュータウンのような雰囲気だ。
駅の周囲を囲むように大通りが通っていて、そこから内側が再開発地という感じだったが、今はその区域から溢れ出ている。
駅から西へまっすぐ伸びる通りがある。
本来ならメインストリートなのだが、最近になって拡幅されたらしく、しかも途中までしかできていない。
そのメインストリート沿いで最も川口駅から離れているところにスカイマークタワー川口がある。
かなり前に訪れたときは、えらく妙なところに建ったものだと思ったが、こうしてメインストリートが伸びてくると帳尻があってしまうものだ。
このメインストリート、はたしてどこまで伸びていくのだろう。やっぱり途中でとまってしまうような気がする。
そのこまでがバブル期以降に出現したニュータウンなのだろう。
東京都側から見ると荒川の向こうにこのニュータウンのビル群が林のごとく並び建ち、異様な風景になっている。
川口駅周辺の、このビル群、バブル期以降、たいへんな勢いで建設されてきたのだ。
だが、ようやくその変貌も終わりに近付いているだろうと思う。
(2006年12月記)

西武池袋線練馬駅南口(中村北再開発)

2007-07-19 06:45:34 | Weblog
ひばりヶ丘駅で再び西武池袋線へ。池袋方面へ向かう。途中、練馬駅で下車。
南口へ出る。東西に伸びる目白通りを西へ。
目白通りの南側に中村北再開発の工事現場がある。
西武池袋線沿線には、他の高層ビルとしては、大泉学園駅の練馬ゆめりあビュータワー、石神井公園駅の石神井公園ピアレス、がある。
また、練馬駅南口には、練馬区役所、ディアマークスキャピタルタワーの2棟がある。
西武池袋線は、練馬区の主要路線だからだろうか、その沿線には、高層ビルが何棟か建っている。
その中で練馬は、所沢以西では西武池袋線沿線では最大の街になっているのからなのか、既に2棟の高層ビルがある。
練馬駅の北口は、畑地と宅地がどこまでも広がる、実にのどかなところだ。
南口は一転して、商店街と住宅密集地となる。特に、東西に伸びる千川通りと北西方向へ斜めに伸びる目白通りが交差しているが、その2つの大通りに挟まれたところはいい感じの下町の商店街という感じだ。
中村北再開発の工事現場は、その下町商店街の西のはずれにある。また、ちょうど千川通りと目白通りが交差し終わった場所でもある。
すぐ北側を西武池袋線の高架が東西に横切っているし、2本の大通りに挟まれている。高層住宅ができていなかったら、自転車置き場にでもなっていただろうか。もっとも、高層住宅の建つ場所はたいていそういう場所なのだが。
都営12号線も通っているので非常に交通の便はいい。
このぐらい都心部になると、駅前高層住宅というより、普通の大通りに面した高層住宅というところかな。
(2006年12月記)

西武池袋線ひばりヶ丘駅南口(ひばりヶ丘駅南口再開発)

2007-07-18 06:24:00 | Weblog
東村山駅から西武新宿に乗る。所沢駅で西武池袋線に乗換え、ひばりヶ丘駅で下車。
ひばりヶ丘駅南口に出て東側に歩くと、ひばりヶ丘駅南口再開発の工事現場がある。
北口は、細い路地が入り組んだ商店街だが、南口は広場もデパートもあり、新しい街並みだ。
ひばりヶ丘駅は、大正時代に開通した西武池袋線(当時は武蔵野鉄道)の駅として設置されている。その当時の駅名は、田無町駅といったらしい。
その後、高度成長期の初めに駅南側にひばりが丘団地が造成され、それにともなって駅名もひばりヶ丘駅になっている。
ひばりヶ丘駅の元の駅名が田無だったということは、一帯の地名が田無だったことを示しているだろう。
ところで、この「田無」という地名がよくわからない。
田圃がない、というのは武蔵野の土地にはよくあるので、田圃がないだけで、「田無」という地名ができることはありえない、と思うのだが。
ただ、もともとの田無は、青梅街道の宿場町になる前は、もっと北側、谷戸地区が中心であったらしい。
谷戸というのは、湿地帯によくついている地名だが、一帯には寺社もあり、歴史を感じさせる。もっとも、これでは田無の地名がますますわからなくなるが。
西武新宿線田無駅の東側から北へまっすぐに西武池袋線のひばりヶ丘駅に伸びている道路がある。
かなり以前は、狭い道路だったような記憶があるが、いまは整備されてきれいな通りになっている。
その通りの西側は閑静な住宅街だが、東側は畑地だ。
都心部なら、下町のようになっている北口に高層住宅が建っただろう。畑地があれば一応、そちらに建つものらしい。
東村山と同じように、ひばりヶ丘駅にも駅前高層住宅が建つ。
(2006年12月記)

西武線東村山駅西口(東村山駅西口再開発)

2007-07-17 06:22:07 | Weblog
西武国分寺線で東村山駅へ。東村山駅西口へ。
東村山駅西口再開発の工事中。
訪れた時点では、まだ建物はあったのだが、ここには、ボウリング場があったのだ。
かなり前に1回だけ行ったことがあったなあ。
高度成長期のボウリングブームの頃ではなくて、バブルの頃だけど。
バブル期は、地方のひなびた遊技場にも、それなりに客が来て儲かっていた、ということかな。
東村山は、古来より、南の武蔵国と北の上野国を結ぶ東山道、後の鎌倉街道が通る交通の要衝であり、久米川宿も置かれていた。もとは、東村山一帯は、久米川という地名なのだろうが。
さらに地名について、もっと辿ると、所沢の西南、柳瀬川の流域に久米、という地名があるが、ここがもとのもと、という気がする。
ただ、「久米」という地名の由来は、よくわからない。東久留米が、黒目、くろめ、から来ていることと関係があるかもしれない。(もっとも「くろめ」の語源もわからないのだが)。
やがて、明治時代半ばに川越から国分寺に西武線が開通する。(このころは川越鉄道だった)。
その後、昭和に入って、東村山から高田馬場が開通し、現在はこちらが主要な路線になっている。東村山から国分寺は支線(西武国分寺線)になってしまったが。
いずれにしろ、現在も東村山は交通の要衝ということだ。
「東村山音頭」というのは、高度成長期の頃、市制移行を記念して、小麦で儲かった資金で(今でもうどん屋さんが多いし、近くに山崎製パンの工場もあるのは小麦の産地だからかな)作ってしまったご当地ソングらしい。
現在の東村山駅の東口は、ごく普通の郊外の街並みだが、西口は、どこかの忘れさられた、さびれた地方の小さな町みたいになっている。
だが、一方で、北西側一帯は、「トトロの森」としてすでにテーマパーク化され、訪れる客も多いときく。
ということは、残っているさびれた西口の町とボウリング場は、駅前高層住宅のビルになるというわけだろうか。
東村山駅は、西武線を使えば、都心にも近いし、郊外の街としては整備されている。そして何より、近くに「トトロの森」があるのだ。
駅前高層住宅がまた1棟建とうとしている。
(2006年12月記)

JR川崎駅東口(ドコモ川崎ビル)

2007-07-16 13:19:22 | Weblog
線路を挟んで東側、JR川崎駅の東口にこれもまた非常に独特なデザインのドコモ川崎ビルがある。
屋上にアンテナがあるので独特なデザインになってしまうのかもしれないが。
場所からみると、JR川崎駅と京浜急行の川崎駅の間にあるビル群なのだが、竣工した時期からみると、川崎駅西口のミューザ川崎やミューザ川崎の西側の高層住宅郡のビル群に含めたくなる。
川崎駅周辺には、このようにして、次々と高層ビルが建ってきたのだが、川崎市の変貌は武蔵小杉に移っている。今後、しばらくは川崎駅周辺は静かになるだろう。
次の変化が起こるとすれば、川崎縦貫鉄道と川崎縦貫道路の開通だろうと思う。
もっとも、川崎縦貫道路は、首都高速までは工事中なので完成するのだろうけど、その先はどうなるのだろう。第一京浜までならすんなり延伸しそうだけど。その後は、川崎駅の市街地、第二京浜、そして、東名高速と北へ伸びていくのだが。北から南へ伸びてくる外郭環状道路とのかねあいもある。まだまだ時間がかかりそうで、どうなるのかさっぱりわからない。
さらに不透明なのが、川崎縦貫鉄道だ。一応、新百合ヶ丘から武蔵小杉(当初は元住吉だったけど)まで作るらしいが。そして、新百合ヶ丘から小田急多摩線に乗り入れるらしい。
ただ、小田急多摩線は、政令指定都市を目指す相模原市に延伸する可能性が高いので川崎縦貫鉄道が乗り入れる意味がない。また、武蔵小杉から川崎までは南武線が走っているし。川崎からは京浜急行大師線に乗り入れるらしいが、これもまったくその必要性が理解できない。(小島新田を終点にするのだろうか)
それよりも、京浜急行大師線を、例えば、京浜急行第2空港線にして小島新田から多摩川をトンネルで抜け、京浜急行空港線に乗り入れさせ、さらに、京浜急行も京急川崎駅で直通できるようにした上で、そのまま川崎縦貫鉄道として武蔵小杉まで伸ばせばよいような気もするが。
そんなことを夢想しているのもいいけど、現実的に川崎市内を結ぶ縦貫交通網が完成するよりも、武蔵小杉に中心がシフトする方が早いのかもしれない。
(2006年12月記)

川崎駅西口(アーベインビオ川崎3号棟)

2007-07-15 12:57:27 | Weblog
イクス川崎 ザ・タワーのすぐ南側には、アーベインビオ川崎3号棟がある。
そのアーベインビオ川崎3号棟のさらに南側、線路際にブリリアタワー川崎が工事中となっている。(完成予定は、2008年後半)。まだ更地があるような気がするが、ミューザ川崎の西側の高層住宅群はこれで完成するようだ。
もう一つ、ラゾーナ川崎の西側に、クレッセント川崎タワーが工事中だ。(こちらの完成予定は2009年初)。
ラゾーナ川崎についてだが、ラゾーナ川崎は中心に大規模なショッピングモールのラゾーナ川崎プラザ、東にラゾーナ川崎レジデンス セントラルタワー、西に業務棟、という配置で完成する。だが、業務棟については、どうなっているのかわからない。今のところ高層ビルとしては、まったく着工していないことはたしかだが。
アーベインビオ川崎3号棟がある高層住宅群の西側には、東芝柳町工場跡地の広大な敷地がある。南武線尻手駅まで広がっている。
その敷地には、キャノンの工場(生産技術センター)ができるらしい、ということだ。その中の研究棟の一部が高層ビルになるようだ。
もっとも、東芝柳町工場跡地は再開発ではなくキャノンが工場を建てる、ということは、川崎の街の拡大は一段落する、ということかな。
川崎市における再開発の中心は、交通の便がはるかにいい武蔵小杉に移るだろう。(もうとっくに移っているが)。
とすると、川崎駅の西口の商店街や東口の飲食店街、歓楽街がむしろレトロな街並みのテーマパークとして残るかもしれない。
(2006年12月記)

川崎駅西口(イクス川崎 ザ・タワー)

2007-07-14 12:50:19 | Weblog
ミューザ川崎セントラルタワーの通りを挟んで西側には、高層住宅街がある。
そのうち、一番北側にイクス川崎 ザ・タワーがある。
最近、あちこちで建っている駅前高層住宅の一つだろう。
川崎駅西口には、他にも、多摩川べりに高さ60メートル台の住宅棟が数棟建っている。
また、東口は、これから高層住宅が建ち始めるかもしれないが、まだ先のことなのでわからない。
高層住宅が建つ、といっても駅近くや線路近くだったりする。集積化ということでそういうふうになるのだろう。
バブル期は、面(地方)の変化だったけど、今回は、ピンポイント(拠点)の変化だろうか。
周縁部は、中心部に繁栄を吸収され、そのままかむしろさびれていくような気もする。
忘れ去られ、さびれていくことをレトロだともてはやしているのかな。
バブルの頃は、いたるところがお祭り騒ぎのようになって変貌した。それも問題なのかもしれないけど、世の中が一体になっていたようで懐かしい。
もうじき川崎の変貌も一段落するだろう。
駅近くに、巨大なビルが建ち並び、そして、広大な工場がなくなって、ショッピングセンターになった。
山の手、田園都市の客が多く訪れ、そして、高層住宅はさながら人工の山の手、田園都市のようだ。
次はどうなるのだろうか。
東京都心部は集積化ということで、さらに巨大になり、川崎はその都心部に呑み込まれ再編成されるかもしれない。
具体的にどうなるのかわからないが。
(2006年12月記)

川崎駅西口(ミューザ川崎セントラルタワー)

2007-07-13 06:22:06 | Weblog
川崎駅西口の南側には、独特のデザインのミューザ川崎セントラルタワーがある。
ソリッドスクエアもかわったデザインだが、バブルの影響からか過剰な感じがする。
一方、ミューザ川崎セントラルタワーの方は、一瞬、見とれてしまうほど、異様に洗練されたビルだ。
付属する施設としては、ミューザ川崎シンフォニーホールがある。
「音楽のまち・かわさき」を代表する建築物なのだろう。
バブルの頃は、クラブチッタ川崎で若者が踊りまくっていたのだが、現代の「勝ち組」「負け組」の格差社会においては、クラシック音楽の鑑賞というわけかな。
クラシックコンサートの終演が夜遅くなったときのために、快速ミューザNighhtExpressという夜行バスも準備されている。
行き先は、田園都市線の宮前平駅と小田急線の新百合ヶ丘駅。まさに山の手、田園都市だ。
川崎はいつの間にか、京浜工業地帯の下町からクラシック音楽の街になってしまった。
あるいは、川崎北部の山の手、田園都市の勢力圏に入ってしまった。
ミューザ川崎セントラルタワーから南武線尻手駅へ西口通りが伸びているが、その南側にも広大な工場がついこの間まであったのだが、今はなくなって更地になっている。
その場所も再開発されるのだろうか。そうなれば、尻手駅も再開発の波に飲み込まれてしまうだろう。
そこでようやく川崎の第二の変化の波はおさまるのだろうか。
クラシック音楽の街になってしまった、ということだけでも驚くべき変化だけど。
(2006年12月記)

川崎駅西口(ラゾーナ川崎レジデンス セントラルタワー)

2007-07-12 06:32:36 | Weblog
ソリッドスクエアの通りを挟んで南側には、ラゾーナ川崎レジデンス セントラルタワーがある。完成間近だ。(2007年3月竣工)
ショッピングモールのラゾーナ川崎は、2006年9月にすでに開業していた。
今回は、まるで気付かず素通りしてしまったなあ。
ショッピングセンターだとかショッピングモールとかには興味がないので仕方ない。
この場所には、もともと広大な東芝堀川工場があった。
かわさきテクノピアには、明治の初めごろ、川崎で最初の工場、横浜製糖があったが、その横浜製糖の工場が完成した2年後、すぐ南側にその東芝堀川工場が完成している。
だが、最初から東芝だったわけではなく、最初は、東京電気川崎工場であった。
明治時代半ば頃、白熱電球の国産化に初めて成功した白熱舎という会社があるが、後に東京電気と社名を変える。東京電気川崎工場は、その東京電気の工場だったわけだ。
その後、昭和に入ってしばらくして、東京電気と芝浦製作所が合併する。そして、東京芝浦電気、東芝が誕生する。
ということで、東芝堀川工場も近代工業国家を牽引してきたのだが、日本が成熟債権国家になってしまうと、そのような工場はいらなくなってしまったのだ。
そして、今年(2006年)になって、いらなくなってしまった東芝堀川工場の代わりにショッピングモールのラゾーナ川崎ができたのである。
工業地帯であったときは、労働者で賑やかだったが、今度は買物客で賑わう、というわけであろうか。
北部の山の手、田園都市がとりあえずよいお客さんなのかもしれない。
バブルの頃の変化が一段落し、今は次の変化の波が打ち寄せている、ということかもしれない。
(2006年12月記)