retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

東武東上線上福岡駅西口(ココネ上福岡)

2007-06-20 06:21:33 | Weblog
ふじみ野駅に戻り再び東武東上線に乗る。
上福岡駅で下車。西口へ出てそのまま、まっすぐ西へ歩く。
少し歩くとココネ上福岡がある。
高層住宅だけでなく、街全体が完成したばかりらしい。
駅西口からまっすぐ伸びていく幅広の道路も真新しい。
もっとも、ふじみ野駅周辺の再開発の小型版という感じもするが。
西側を南北に伸びる川越街道までは拡大することはないなあ。
東口には行かなかったが、新河岸川に近い東口の方が栄えているように思う。
そして取り残された西口が再開発されている、ということかな。
しかし、東武東上線沿線の郊外の大規模な再開発としては、ここが最後になると思う。
あとは、川越ぐらいしかないだろう。
都心回帰、集積化ということで、開発の波は都心中心部に移ってしまったからだ。
東武東上線沿線で都心部、ということなら、練馬が再開発されるかもしれない。
やはりバブルの頃の有楽町線への乗り入れは大きかった。
何もない荒地が一気に整備されたニュータウンに変貌した。
今度は、池袋から東京地下鉄副都心線が渋谷までを結ぶ。(2008年のことだが)
しかし、もう大規模な再開発はない。
郊外は、広い駐車場付きの郊外型大型店があちこちに建つぐらいだ。
そして、都心部はますます巨大化していく。
そのような現状を見ると、あの頃のバブルの夢は、夢とはっきりわかっていても、それでもなんだかその夢が懐かしくなってしまう。
もう夕暮れも近い。スーパーには買物客が増え始めている。
しばしバブルの頃の夢に浸りながら帰るとするか。
(2006年11月記)

東武東上線ふじみ野駅西口(アイムタワー)

2007-06-19 06:20:51 | Weblog
ふじみ野駅に戻り、今度は西口の北側へ。
一帯は、緑の中に住宅棟が点在する、という風景だ。
その一帯の西端にアイムタワー西館、北端にアイムタワー東館がある。
離れているが一応ツインビルなのだろう。
西側の南北に伸びる川越街道までは再開発されるのだろうか。
何もない原野がまるで手品のように、芝生や並木の緑が眩しい、きれいなニュータウンに変貌した。
川越街道近くには大型のショッピングセンター。
埼玉のローカル路線が変われば変わるものだ。
ともかくうち捨てられた荒れ野は整備されニュータウンになったのだ。
しかも付近の自治体は合併してふじみ野市になっている。
ふじみ野駅はふじみ野市にあるわけではないらしいが、この地域の中心と位置付けての命名だろうか。
しかし、変化もここまでだろうか。再開発は、東口にも広がるはずだが、そんな感じはしない。
一見するとニュータウン内には緑が多く、公園の中に団地棟が点在しているように見える。だが、逆に言えば、あまり需要がなくて建物を建てられなかったからではないかな。
バブルの頃の勢いなら、西口も東口も広範囲にニュータウンが広がり、整備された巨大な市街地が出現するような感じがしたのだが。
今では、郊外のどこにでもあるようなショッピングセンターがあるばかり。
将来的には、郊外の東武東上線の沿線で高層住宅が建つことはもはやないだろう。(川越には建つかもしれないが)
駅前に戻れば、焼鳥屋の売り込みの声がまだ聞こえるだろうか。
そろそろ買物をしに主婦がスーパーに繰り出す頃かな。
そんな駅前風景を見ていると、むしろ巨大な街にならず、ささやかな郊外の街でおさまってよかったのかもしれないと思ってしまう。
(2006年11月記)

東武東上線ふじみ野駅西口(リズムタワー)

2007-06-18 06:21:17 | Weblog
志木駅に戻り再び東武東上線に乗る。ふじみ野駅で下車。
西口にいったん出て、線路に沿って南へ。
リズムタワーⅠ、Ⅱのツイン高層ビルがある。
このツインの高層住宅はバブルの終わりごろに竣工している。
また、ふじみ野駅も同じ頃の開業である。
ふじみ野駅が開業する前は、たしか広大な原野だったと記憶しているが。
つまり、ふじみ野駅のある場所は、かつてはその前後の鶴瀬駅、上福岡駅の2つの駅の駅間だったにすぎないのだろう。
原野というと自然豊かな風景を想像するだろうが、実際は、打ち捨てられた工事現場みたいだったなあ。
リズムタワーの近くに大井陸橋というのがあるが、安定成長期に完成している。
さあ、これから市街化が始まる、というところで、再開発はストップしてしまい、大井陸橋より北側の勝瀬原は、荒地のまま捨て置かれた、ということらしい。
なぜそうなったのか、わからないが。
そして、バブルの頃、この取り残された場所が一気に再開発されるのだ。
だが、その前にとりあえず、大井陸橋あたりに、その先駆けとして、リズムタワーが建ったというわけかな。
だからだろうか、リズムタワーはふじみ野駅よりかなり離れた場所に位置することになる。
まわりはずいぶん整備されていて、きれいな街になった。西側には日本初のアウトレットモールというのもあるようだ。
もっとも、線路に沿って歩いて行くと、まだ夕暮れでもないのに、焼鳥屋が大きな声で売り込みをしている。
やはりただの郊外の街なのだろうか。当たり前だが。
しかし、いくぶん心がなごんだのも事実だ。
(2006年11月記)

東武東上線志木駅東口(藤和志木タワー)

2007-06-17 11:03:36 | Weblog
武蔵野線で北朝霞駅へ。東武東上線では朝霞台駅になっている。東武東上線に乗換え志木駅で下車。北口へ出て南に歩くと藤和志木タワーがある。
たぶん、初めてこの駅に降り立ったのかもしれない。といって別に感慨はないけど。
江戸時代、このあたりの中心は、北側を流れる新河岸川だったようだ。その中心に引っ張られるように、東武東上線は、朝霞、志木あたりは、わずかに北に湾曲している。
駅には降りたことはないけど、柳瀬川と新河岸川の合流地点、市役所のあるあたりには行ったことがある。
水郷の風景(ちょっと大袈裟かな)といった趣できれいな場所だったなあ。
ところで、隣の新座の語源は渡来系の「新羅」である。また、志木も「新羅」が語源だ。
ということは、新座と志木は同じ語源ということになる。
また、和光市の新倉、白子地区の地名の語源も同じく「新羅」らしい。
このことから、新河岸川の流域は古代から渡来系の住民が開いた風光明媚な水郷だったのだろうと思うのだが。
近代に入り、例に漏れず、この場所でも鉄道、東武東上線は、以前の中心地から離れた場所を通っている。つまり埼玉のローカル線でしかなかった。(離れているが和光市駅を過ぎたところから若干、新河岸川に寄っている)
そこへバブルがやってくる。
そのバブルの頃に志木駅から上り方向に複々線が開通し、有楽町線に乗り入れるようになるが、そのことに対応し、東武東上線の沿線の開発が始まる。
藤和志木タワーもその一環だろう。
駅前の高層住宅、藤和志木タワーはバブルが崩壊した頃に建っている。
もっとも志木駅は昔からある駅なので再開発された新興住宅地というほどではないと思うが。
地方のローカル線沿線が、きれいに整備された新興住宅地になっていく。この変化は今も継続中だ。
(2006年11月記)

麻布十番駅三田一丁目(三田小山町第2地区再開発)

2007-06-16 11:21:08 | Weblog
そのまま桜田通りを北に歩き続ける。白金高輪駅で南北線に乗り麻布十番で下車。
古川に沿って外延東通りの南側に一歩入った静かな道を東へ歩く。
少し歩いたところ、道路の南側に三田小山町第2地区再開発の工事現場がある。
麻布、三田、芝に囲まれた、例外的に下町みたいな感じの場所だ。おそらく川沿いにあるためだろうか。
たとえば、外苑東通りにでて、古川の上を通る首都高高速都心環状線の高架を見ていると、ここが都心部の中心の高級住宅がそばにある場所だとは思えない景色だ。
(個人的には池袋みたいな感じがするのだが)
赤羽橋から東へ行くときに外苑東通りから一歩入ったこの道を歩いてみるといいかもしれない。
と言いつつ、自分は2、3回しか歩いたことはないのだが。
クルマはほとんど通らず、静かな通り。病院を過ぎて、そこから昔ながらの家並みが現れる。
なにかこの場所だけ時代から取り残されたような、不思議な場所だ。
不思議な場所だが、このような場所が都心にあることが不思議なだけで、都心でなければどこにでもある家並みかもしれない。
だからだろうか、実はあまり気にもとめず歩いていたのでほとんど記憶にないのだ。
でも、やはり例外なんてなかった。
川べりの高級住宅地に適さない場所は、高層住宅になっていく。
永久に地上から消滅するなら、記憶にだけでも残しておくべきだったかな。
すっかり更地になってしまった場所を見つめているうちにふとそう思ってしまった。
そして、古川沿いのビル群にまた一棟、ビルが加わることになる。
(2006年11月記)

浅草線高輪台駅(高輪台プロジェクト)

2007-06-15 04:34:48 | Weblog
五反田駅へ行き、浅草線に乗る。高輪台駅で下車。
地上には幅広で交通量の多い桜田通りが南北に伸びる。
その桜田通りの東側に高輪台プロジェクトの工事現場がある。
五反田駅から歩いてもいいくらいなんだが、ちょっと上り坂がきつい。
高輪は、尾根道、高縄手からきているらしい。
尾根には違いないが、尾根というよりも突き出た台地の縁と考えた方がよさそうだ。
つまり桜田通りから東側は下り斜面であり、その先に埋立地がなければ海、ということになる。
高輪台というと山の手の高級住宅街のような感じで、なんでそんなところに高層住宅が建つのか不思議な気もする。しかし実際、高輪台プロジェクトの桜田通りにに沿って北側にもTAKANAWA The Residence、シティタワー高輪が連なるように建っている。
そもそもこの南北に伸びる桜田通りにしてかなり幅広で交通量の多い道路なのだ。
このような道路が山の手の住宅街につくられることもない。
(ちなみに山の手通りはほぼ目黒川沿いを通っているので山の手の道路ではない)
やはり、台地の縁、ということで住宅地には適さない、ということなのだろうか。
そういえば、高輪台の駅あたりだけ、なんだか高級住宅地のイメージではないような気もする。
もっとも、それは都営浅草線の高輪台の駅が古臭いからだけなのかもしれずなんともいえない。
ただ今言えることは、品川から見上げる台地の上に怪物のような二つのビルが建っていたのだが、それがやがて三つになることは確かなだ、ということだ。
そして、そのころには、古ぼけた高輪台の駅もきれいになっているのかな。
(2006年11月記)

五反田駅東口(東五反田二丁目計画)

2007-06-14 06:25:46 | Weblog
さらにその北には、ル・サンク大崎シティタワーがあるが、こちらはまだ完成していないので次回ということにする。
目黒川を渡って、北側へ。
五反田駅寄りに東五反田二丁目計画の建設現場がある。
大崎一丁目再開発のビルが完成しようとしているのに、もう別のビルが工事を始めているのだ。
もうここらへんになってくると、大崎ではなく完全に五反田駅近くになってしまう。
ここには五反田ボウリングセンターがあったのだが。
いったいいつから開業したのだろう。
五反田駅前の有楽街と同じような感じなのかな。
五反田のボウリング場、この街にあまりにもあたりまえに存在していて、まさか消滅するとは思えなかったような気もするが。
東側と南側から大崎の高層住宅が広がってきて、ついに五反田駅の圏内に入ってきたようなものだろうか。
なんか大崎の高層住宅を巡っているうちに、いつの間にか五反田の駅前に出てきてしまった、そんな時も現実になりつつある。
五反田も橋上駅舎だし、池上線のホームもそうなので、このさい大崎駅までペデストリアンデッキで結んでしまうと便利なのだが。
なにせ大崎一丁目再開発は、五反田駅の方がむしろ近いくらいなのだから。
ここまで来ると、このボウリング場跡地よりもさらに五反田駅寄りの広い駐車場が気になるところだ。
(2006年11月記)

大崎駅東口(アートヴィレッジ大崎ビュータワー)

2007-06-13 06:21:45 | Weblog
アートヴィレッジ大崎セントラルタワーの北側には、住宅棟のアートヴィレッジ大崎ビュータワーがある。
大崎一丁目再開発で建った3棟のビルでは、真ん中のビルであり、賃貸の高層住宅になる。
宣伝文句に御殿山、池田山、島津山、と並べてアートヴィレッジ大崎ビュータワーが紹介されている。
つまり、山の手高級住宅を人工的に作ったということで、やはり、高層住宅というは、人工の山の手というわけだが。
そもそもこの目黒川と山手線に挟まれた狭い一帯はたしか、印刷会社があったように記憶している。
大崎駅を過ぎると五反田駅の手前で北西から南東へ流れる目黒川にさしかかるが、その目黒川の斜めの線と山手線の南北の直線とで作られる細長い三角形の一帯は工場地帯だったのだ。
車窓を流れる、その工場地帯を見ると、そして、目黒川を渡ると、なんとなく五反田に近付く雰囲気がしたなあ。
しかし、そんなに印象深く記憶に残っているのに、もはや今となっては、何の印刷会社だったかさっぱり思い出せない。(あとで調べたら「金陽社」というメーカーらしい)
もうここは、高層住宅が並ぶ、リバーサイドの閑静な一帯なのだ。
目黒川沿いには桜並木、山手線沿いにも緑が配置されるようだ。
何年か経てば、緑が生い茂り、さらに落ち着いた雰囲気の場所になることだろう。
そうなれば、昔、ここが工場だったなんて、過ぎ去った歴史の一こまになってしまうのだろうなあ。
そのような過ぎ去った時代を懐かしむということは、今の時代からは取り残されているということかな。
(2006年11月記)

大崎駅東口(アートヴィレッジ大崎セントラルタワー)

2007-06-12 06:21:28 | Weblog
また、大崎駅へ。大崎駅構内通路を抜けて東口へ出る。
東口はビルが並び建ち、どこをどう通れば目的地に達するのか、初めての場合、わからないだろう。そういう自分も今もって、さっぱりわからない。
ちょっと前、工事中のころは、大崎駅東口第3地区と呼ばれていた地区へ。
この場合は、近くの住人なら、おそらく大崎ニューシティのビルに入ってしまい、スーパーのある1階に降りて、北西側の出口から出るのだろうか。
わかりやすいのは、とにかく地上に降りて、ただ単純に駅に沿って北西に歩き、どこかで北に曲って、目黒川を目指すのだろう。
目黒川に沿って北西へ。千代田グラビア工場の跡地と大崎フロントタワーを過ぎるとアートヴィレッジ大崎セントラルタワーがある。
大崎一丁目再開発として、いっぺんに3棟のビルが建ったのだが、そのうち一番南側のビルだ。そして、3棟のうち2棟は高層住宅だが、残り1棟は、オフィス棟となっており、アートヴィレッジ大崎セントラルタワーは、そのオフィス棟である。
場所は、目黒川と山手線に挟まれた狭い一帯になる。
どこかの地方都市みたいに、ひたすらペデストリアンデッキを広げてあちこちのビルを結ぶというは、やっぱりあってもいいかなと思ってしまう。
大崎駅と直結する大崎ニューシティのビルをいったん出て、道路を渡るというのは、不便な感じだし、そもそも一体感がない。もっとも大崎ニューシティが建った頃は、まさか北側の工場地帯まで高層ビル街になるとは想わなかったのだろう。
せめて、山手線沿いに陸橋ぐらいはあった方がいいかな。
と思ったら、建設されるらしい。
ビル街では地上からの見通しが効かないので、例えば、駅に直結する通路があった方がいいだろう。
(2006年11月記)

大崎駅西口(大崎駅西口中地区再開発)

2007-06-11 06:24:59 | Weblog
再び目黒川を渡り、大崎駅へ。大崎駅構内通路を抜けて西口へ出る。
工事中のThink Park Tower(シンクパークタワー)の南側に大崎駅西口中地区再開発の工事現場。
工事中といっても建設中ではなく既存建物の解体中なのだろうが。
もとは明電舎の工場があったのだが、もはやどこがどうなっていたのか思い出せない。
画像に写っているこの独特のフォルムの建造物はなんだったんだろう。
大崎駅西口中地区の再開発地域は南側の百反通りまで広がる。
百反通りは、目黒川沿いの工場地帯が盛んだったころは、商店街として賑やかだったらしい。昭和の前半のことだ。
東西に伸びるこの通りの西側まで行ったことがないので、なんとも言えないが、今では静かな住宅地でえらく急な坂道、という感じでしかない。
あまり商店街を歩く趣味はないので記憶には残っていないけど、そういえば老舗っぽいような店もあったようななかったような。
この百反通りの北側一帯は、さらにSONY工場とその南側で再開発が予定されている。
どうせならもう一度、百反通りの商店街を復活させるといいのかもしれない。
大崎駅周辺にはそのような場所はないし、大崎のオフィス街にとっては、丸ノ内に対する新橋みたいな憩いの場になるかもしれない。
また、高層住宅に住んでいる住人にとっては、一種のテーマパークみたいになるだろうし。(月島のもんじゃ焼きみないな)
もっともこのままいくと、たんに高層ビル群に呑み込まれ、通りが拡幅されるだけに終わりそうだけど。
(2006年11月記)