山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

雪融け・・・南北格差・・・アタマの体操

2008-03-12 22:30:44 | 風景
 蔵王山系から流れ下る竜山川。
 左岸(こちら側から見て右側)と右岸(こちら側から見て左側)はそれぞれ南側と北側になっている。
 南側にある左岸は北の方に向かって傾斜しているから陽光には面せず残雪が多く、北側にある右岸は南の方に向かって傾斜しているから陽光に面しており、すっかり雪は消えている。でも左岸の残雪もここ2、3日の陽気で急速に溶解し、竜山川に注ぐであろう。
 1カ月ずれた降雪期間もいよいよ終幕となり、山市にも本格的な春が訪れたようだ。
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土蔵も素敵だが、木蔵も美しい

2008-03-10 22:03:01 | 建物
 以前は棚田の間に農家が点在する山形盆地では珍しい散居村だった地域も現在はすっかり市街地化し、まるで南欧だか北米だかわからないような国籍不明の住宅が並ぶ地帯となっているが、そんな中に昔からの農家の屋敷が目に入った。
 旧市街地では白亜の土蔵が数多く目に付くのだが、かつての郊外農村のこの地域では「木蔵」と呼ぶべきなのか「板蔵」と呼ぶべきなのかはともかく、そのような蔵(倉?!)がかなり多く目に付く。
 手前の青いビニールシートが興ざめだが、「木蔵」のある旧農村の景観も結構美しく見えるものだ。
見た目の美しさというよりは、言い古されている表現だが、「木の温もり」や昔の建築職人の手作業の息吹きが感じられるからなのかも知れない。

 
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降っては消えての弥生の雪

2008-03-08 23:48:02 | 風景
 朝起きてみたらほとんど消えたはずの雪がまた少し積もっていた。
 でも、午前中の早いうちにすっかり消えてしまった。
 これからは厚手のコートはほとんど要らなくなりそうである。

※ 写真は阿古耶姫の伝説を秘める千歳山が望める地点の風景 撮影は一昨年前(こご、ドゴだべ?)
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弥生。中心市街地一番の豪雪地点

2008-03-06 23:52:09 | 建物
 もう三月も6日。確かに雪は徐々に融けている。
 表通りはほとんど雪はみられなくなったが、裏小路はまだまだ長靴や雪靴が必要だ。だから、外出の際はどんな靴を履いてでかければよいのか戸惑う。
 しかも、まだまだ風は冷たい。
 ここは、かつては城下町のはずれの地域だったが、いまではほとんど中心市街地の仲間入りをしている。でも確かに今でも静寂である。境内の裏手にある幼稚園の園児たちの可愛い叫び声を除いては。
 きっと桃の節句の祝いをやったのであろう。
 でも、この雪の多さを見ると今が弥生であるとは信じられなくなる。
 なんで、こんなに深い雪なのか。それなのに屋根には積雪が見られない。
 山形一、否、東北一の大屋根があるために、ここが山形市の中心市街地の中で最も雪深いスポットとなる。雪の妖精たちの格好のジャンプ台だからである。
 それにしてもこの大伽藍。よくも三百年も持ち堪えてきたものだ。
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今はまぼろしの山形の洋館

2008-03-04 23:09:31 | 建物
 街なかでの人びととの交流、そして出逢いにおいて嬉しい体験をする時も多い。
 何かいいことがあるのではないかと、心の片隅のどこかでわずかな期待を忍ばせながら外にでかけたら、やはり胸踊るような思いをすることがあるものだ。
 先日でかけた所で会った人からは思いがけなくもすばらしい古い建物の図面を見せてもらった。それは戦前に山形市の中心部にあった洋館の図面であった。
 米軍の本土空襲が激しくなった時に何かの理由で解体を余儀なくされたという。
 もし、この洋館が現存していたら、それこそ目もくらむばかりの素敵な洋館として街往く人たちの目をひいていたに違いない。
 
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ジンギス汗、山形連隊に入営

2008-03-01 23:15:38 | 郷土史
 映画『母べえ』を観た。時代背景は日中戦争が泥沼化した頃である。
 むろん主役のお母さん役は吉永小百合。
 もう○歳台だが、小学生の娘持つ若い母親を演じている。
 夫は思想犯として長年月服役しているが、彼の教え子の山ちゃんこと山崎が留守宅の親子を何かと面倒を見る。
 やがて近視で難聴の山崎にも徴兵の赤紙が届き、山形の陸軍三十二連隊に入営する。
 太平洋戦争も激しさを増していた頃だから、どれだけ彼が山形で訓練を受けていたかはわからない。入営してすぐ間もなく戦場に送られたようだ。

※ 山崎を演じる浅野忠信は四カ国合作映画『モンゴル』でジンギス汗を演じた。

[写真]  「上」は戦前の山形市の中心市街(現在の旅籠町 左の黒壁の蔵店は栄玉堂) 山形連隊の兵営に近く、将兵向けの商店が多かったので、休日には将兵たちで賑わった。山崎もこのあたりで束の間の休暇を楽しんだのだろうか。 「下」は山形連隊(歩兵三十二連隊)の兵舎(旧山形城二の丸跡内、現在の霞城公園) 戦後に一時市立二中の仮校舎として使用されるが、やがて解体され、公園となる。
 
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