山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

◆ないしょの話と鶴の恩返しの里を歩く(1)◆

2014-04-06 16:34:31 | Weblog

少し、というか3月中のこと(28日)になるが、南陽市の漆山地区を訪れた。
この地区は民話「鶴の恩返し」の伝承の地であり、また明治以降は生糸生産の一大拠点でもあった所である。
この探訪を22枚の写真により4~5回に分けて紹介したい。

置賜盆地北限の白竜湖の氷もすっかり融けただけでなく、周囲の田圃を覆っていた雪が急速に融解しているために、湖沼と田圃の境目がなくなっているようだ。太古にはこの辺り一帯が巨大な湖であったことが肯ける。

フラワー長井線宮内駅前に立つ「ないしょ話」の碑。同じような碑は山形市の霞城公園内にもある。作詞家の結城よしをは宮内の出身で、後に父とともに山形市に移住したが、若くして戦病死している。

宮内から西隣の漆山地区(旧漆山村)まではほぼ市街地的様相が続き、商店も多い。明治から戦後間もない頃までは生糸産業の一大拠点であった漆山地区の大勢の女工や工場関係者の往来で賑わった名残りであろう。

川の名は織機川、橋の名も織機橋。この川も最上川に注ぎ、日本海に至る。

漆山地区には豪奢な商家が幾つか見られる。やはり生糸産業で賑わった証左であろう。

次回に続く

コメント
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