山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

中村勘三郎さんと山形の某寺院

2012-12-28 09:57:44 | 建物

 この記事を見て、「牽強付会」と言いたい人も居るであろう。
 タイトルの如く上の寺院の写真は山形市の中心部にある寺院である。
 この寺院の写真のすぐ脇に亡くなった中村勘三郎さんの顔写真があるが、この寺院と勘三郎さんとは直接的には何の関係もありそうにない。
 でも、この山形の寺院(市内七日町の浄土真宗明善寺)の外観は東京の超有名寺院となんとなくどこかよく似ていないか。
 その東京の超有名寺院と言えば直近では、つまりつい一昨日のことだが、築地本願寺(下の写真)のことを想起する人が多いであろう。
 一昨日から昨日にかけてのTVの画面は故中村勘三郎さんの葬儀一色であり、安倍内閣発足のことをはるかに凌ぐほどであった。
 まあ、事実上の準「国民葬」であったと言える。
 この築地本願寺は勘三郎さんの本葬儀の会場であり、昭和9年建造で、そのインド様式寺院のモデルとされている寺がまさしく山形の明善寺なのである。
 明善寺はほぼ純和風の木造であるのに対し(純和風とは申せ、この外観の寺院はごく稀)、築地本願寺はインドのヒンズー教寺院風の外観であり、しかも大規模なコンクリート造りだという大きな違いがある。
 しかし、両寺院の設計者はともに山形県米沢市出身の伊東忠太博士で、宗派も同じ浄土真宗(西本願寺派)、しかも建築年も同じ昭和9年である。
 更に左右の両脇に塔楼が配置されていることに外観上の大きな共通点がある。
 しかも「生まれた年」が同年であれば「性別」違いの双生児とも言えそうだ。築地本願寺が威風堂々の男子だとすれば山形の明善寺は優しい趣の女子ということになろうか。
 伊東博士は明らかに「同じイメージ」をインド風を東京に、和風を郷里米沢に近い山形市に振り分けて設計したのであろう。
 山形の勘三郎さんファンは明善寺の本堂前にて黙禱したらどうであろうか。
コメント (3)
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