数年前に人気のNHK大河ドラマ『天地人』で主人公直江兼続とともに上杉景勝に仕えた甘粕景継という武将が活躍していたが、彼の次男はキリシタンとして殉教している。
米沢には一説によれば1万人ものキリシタン信徒が存在していたという。
これは城主の上杉景勝がキリスト教信仰者に寛容であつただけでなく、上杉氏の前の米沢城主の蒲生氏郷がキリシタン大名であったことも影響しているのかもしれない。
しかし全国的に幕府によるキリシタンに対する取り締まりが激しさを加える中で、米沢藩もそれに逆らうことは困難となり、領内の信徒で棄教しない者を処刑することとなった。
その信徒たちの指導者格が甘粕右衛門(洗礼名ルイス)で、合計57人もが処刑され、多くは現在の米沢市役所の西方の北山原で刃により露と消えた。
その刑場が発見されて遺跡として整備されるようになったのは昭和になってからのことである。
なお、戦前の昭和史を賑わした甘粕正彦は彼の一族の子孫でもある。
◆新しいブログ『山形街なか大正レトロ館』を紹介します。
山形市の本町にある大正10年建造の「旧西村写真館」の保存の取り組みに特化したブログです。ご愛顧ください。
http://blog.goo.ne.jp/kyuu-nishimu-stadio
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しかし全国的に幕府によるキリシタンに対する取り締まりが激しさを加える中で、米沢藩もそれに逆らうことは困難となり、領内の信徒で棄教しない者を処刑することとなった。
その信徒たちの指導者格が甘粕右衛門(洗礼名ルイス)で、合計57人もが処刑され、多くは現在の米沢市役所の西方の北山原で刃により露と消えた。
その刑場が発見されて遺跡として整備されるようになったのは昭和になってからのことである。
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