いよいよこのシリーズも佳境入りである。
しかし、佳境入りのはずだが、「聖地」にさしかかる直前になんとも奇妙な光景にでくわした。小さな神社(これも「聖地」の一つには違いないのであろうが)のすぐそばに時計塔のあるおもちゃのような建物が並んでいる。
これは時計屋さんのようだ。むろんこの神社と時計塔のある時計屋さんはまったく山形の歴史とは関係がない。
山形の歴史と大いに関係のある写真はこのすぐ下の写真である。
山形の歴史を語る上だけでなく、山形の観光の上で欠かせない人物と言えば、その名は慈覚大師円仁である。
彼は山寺立石寺を開創した人物として語り伝えられているが、その彼の出生地とはこの栃木県も県都宇都宮市にほど近い壬生町である。
しかし、その仏教界の巨人の出生地としては少しも観光地ずれがしていない、きわめて地味な感じのする町である。
町だけでなく、彼の出生地に建てられた寺院「壬生寺」もまったく観光ずれがしていない。土産物店があるわけでもなし、観光客をあてこんだ飲食店があるわけでもない。
門前間近に迫っても、この程度のさっぱりしたたたずまいである。
そしてこれがこの壬生寺の本堂である。マルコ・ポーロの「東方見聞録」、三蔵法師玄奘の「大唐西域記」と並ぶ世界三大旅行記の一つとしての「入唐求法巡礼行記」
さて、これは我が山形市山寺の立石寺境内を包み込んでいる宝珠山の冬景色である。
まさしく壬生町が生んだ慈覚大師円仁が開山とされている立石寺の山である。