昭和20年代といえばまったくの「建築不作」の年代。
終戦の年だから、日本国中いたるところで建築ラッシュ。
この年代ほど新しい建物が建造された年代はないだろう。
でも、当然のことながら「建てれぱよい」の風潮が支配し、建築においても「質より量」が優先された時代で、構造的にも意匠的にもやや見劣りする建造物が多かったことは否めない。
そんな時代的風潮の中でもこの写真にある建物は昭和24年の建造でありながら、構造的にも意匠的にも優れているが、特に意匠においてはレトロという以上にメルヘン的であり、このような建物が複数並んでいるから、見学者は「おとぎの国」に迷い込んだような錯覚に陥る。
この建物群は昭和10年創業の絨緞(カーペット)製造・販売の会社であり、山形市近郊の東村山郡山辺町の代表的企業でもあるが、製品は皇居やローマのヴァチカン公国にも納品されているし、昭和天皇を始めとする多くの皇族の視察も受けている。
創業時には中国人熟練職人数名の指導を受けたということだから、そのうち経済発展が目覚しい中国の大富豪の目にも止まるようになるかもしれない。
終戦の年だから、日本国中いたるところで建築ラッシュ。
この年代ほど新しい建物が建造された年代はないだろう。
でも、当然のことながら「建てれぱよい」の風潮が支配し、建築においても「質より量」が優先された時代で、構造的にも意匠的にもやや見劣りする建造物が多かったことは否めない。
そんな時代的風潮の中でもこの写真にある建物は昭和24年の建造でありながら、構造的にも意匠的にも優れているが、特に意匠においてはレトロという以上にメルヘン的であり、このような建物が複数並んでいるから、見学者は「おとぎの国」に迷い込んだような錯覚に陥る。
この建物群は昭和10年創業の絨緞(カーペット)製造・販売の会社であり、山形市近郊の東村山郡山辺町の代表的企業でもあるが、製品は皇居やローマのヴァチカン公国にも納品されているし、昭和天皇を始めとする多くの皇族の視察も受けている。
創業時には中国人熟練職人数名の指導を受けたということだから、そのうち経済発展が目覚しい中国の大富豪の目にも止まるようになるかもしれない。