山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

炭焼藤太父子が通った道 ④

2010-04-05 22:41:20 | 郷土史
 前回では現在「極彩色にしてお色気ゼロ」のアミューズ施設が建つあたりを炭焼藤太らが通ったのではないかと述べたが、このあたりは新興商業ゾーンとして開発された所なので、以前は田園風景が広がる農業地帯であった。
 しかも、たぶん中世はむろん、古代まで充分に遡りうる農業地帯であった。
 その証左がこの「史跡」の標柱と古代の遺跡公園的な設備である。
 史跡の名は「嶋遺跡」。このあたりの字名の「嶋」に因んで命名され、周辺全体の新興市街地も「嶋地区」と称している。そのアミューズ施設から徒歩で数分の所にある。
 しかも、史跡では史跡でも歴とした国指定の史跡であり、古代の農業集落跡としては全国的にも特筆すべき史跡なのである。
 しかし、たぶん洪水などの天災により集落は大きな打撃を受け、放棄されたようだ。
 このあたりは馬見ガ崎川水系の幾筋もの小河川が流れ下り、それに伴い栄養価の高い土壌が蓄積され、豊穣な農地ともなりえたが、長い年月の間に幾度となく繰り返された氾濫や河道変更のために耕作が不能に陥る小地域も少なくなかったことであろう。
 おそらく藤太や吉次が歩いたこの辺りは広大な荘園ながら、豊穣な部分と砂礫が多い部分とが混在していたのであろう。
 農村集落が長い年月「持続」できるようになったのは多分中世後期になってからのことであろう。
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