山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

奥羽の関ヶ原戦線膠着す

2007-09-24 21:45:16 | 郷土史

 わがパソコン不調につき当ブログ更新ままならず、要修理のため今後しばらく我が家の最高実力者(※)愛用のパソコンを気遣いつつの使用による更新となりそう。(※ 家内もしくは娘もしくは哲学者風の猫)

 今から407年の昔、関ヶ原の戦いは9月15日の一日で勝敗がついたが、それを知らずに名将直江兼続(※)が率いる約2万の上杉軍は同じ15日に山形城の支城の長谷堂城への攻撃をを開始した。今は黄金の稲穂が波打つこのあたり(写真「上」)は長谷堂城兵からの鉄砲と弓矢により上杉兵の血で染められ、長谷堂城はなかなか陥落しなかった。
 9月24日、最上義光の山形軍応援のため仙台からかけつけた伊達軍が至近の須川河畔まで進出し、ついに戦線は膠着状態となった。(⇒続く)

 ※ 2009年度の大河ドラマの主人公に決定
 ※ 写真「上」南西方面から望む長谷堂城跡(左が山形城方面)  「下」長井市の豪商屋敷 このあたりの多くの農民が上杉軍兵士として出陣した。(→クリックで拡大)
コメント (2)
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