上の写真は2つともひどい画質だが、戦後の山形と済生館三層楼を雄弁に物語る貴重な資料である。特に三層楼は山形の文明開化を象徴する建物であるが、激動する近代と現代の歴史に翻弄されてきたことを訴えている。
左の白黒写真は丁度62年前の9月13日付けの山形新聞に掲載されていたものであるが、数人の男たちは連合軍部隊が山形市に進駐する前に偵察に訪れた調査団の一行である。彼らは山形版“どんど晴れ旅館”とも言うべき後藤又兵衛旅館(←クリック)に宿泊している。その後19日に米軍は本格的に山形県内に駐留することになる。
右のカラー写真は49年前に山形市がロケ地となった伴淳三郎主演の映画「顔役」の1シーンに現れた三層楼であるが、外観の色は現在と大きく異なり青っぽい。また、三層目の部分は圧縮されているが、これは戦争中米軍機による爆撃の目印になるのを避けるために解体されたためである。13年前にここを視察した米軍人たちはこのことの説明を受けたのであろうか。(本来および現在の三層楼の姿←クリック)
なお、同じ紙面には米軍の本格進駐を前に山形県民に対する注意と心構えを呼びかけるコラム記事が掲載されている。
左の白黒写真は丁度62年前の9月13日付けの山形新聞に掲載されていたものであるが、数人の男たちは連合軍部隊が山形市に進駐する前に偵察に訪れた調査団の一行である。彼らは山形版“どんど晴れ旅館”とも言うべき後藤又兵衛旅館(←クリック)に宿泊している。その後19日に米軍は本格的に山形県内に駐留することになる。
右のカラー写真は49年前に山形市がロケ地となった伴淳三郎主演の映画「顔役」の1シーンに現れた三層楼であるが、外観の色は現在と大きく異なり青っぽい。また、三層目の部分は圧縮されているが、これは戦争中米軍機による爆撃の目印になるのを避けるために解体されたためである。13年前にここを視察した米軍人たちはこのことの説明を受けたのであろうか。(本来および現在の三層楼の姿←クリック)
なお、同じ紙面には米軍の本格進駐を前に山形県民に対する注意と心構えを呼びかけるコラム記事が掲載されている。