パソコン音痴、インターネット音痴の私がブログを開設し、記事と写真を始めて投稿したのが丁度一年前。早いものでもう一年にもなったのかと感慨にふけりつつ、丁度一年前の今日に訪れた山形市西隣の山里で撮った写真(うち一枚は昨年の同日にも掲載)を大画面で投稿します。
↑ 昨年同日に投稿したのと同じ山辺町玉虫沼の写真
↓ も少し下の近くで眺めた玉虫沼
↑ いよいよ民話が豊かな「まんだらの里」作谷沢地区入り 奥深くもやさしい山容
↑ 旧郵便局の建物が立派に保存されていたが、郵便局でない施設となっていた。それでも山形市の市街地からはすっかり消え去ったレトロな郵便局舎がここで見られて嬉しかった。(山辺町簗沢地区)
↑ さすが民話の山里、石に刻まれた大黒天が路傍でやさしく出迎えてくれた。(山辺町簗沢地区内の小中学校の近く)
↑ 山形県のど真ん中に位置する白鷹丘陵の中の小盆地ではささやかな農業が営まれている。このあたりに山形城の出城である畑谷城を攻撃する米沢の上杉軍の軍勢があふれていた。丁度関ヶ原の戦いの頃であり、両軍の戦死者にまつわる悲しい民話も残されている。周囲の山々は今も変わらずこの小盆地の移ろいを見守っている。
この一年間このブログをご覧なられた方々に対し厚く御礼申上げます。
↑ 昨年同日に投稿したのと同じ山辺町玉虫沼の写真
↓ も少し下の近くで眺めた玉虫沼
↑ いよいよ民話が豊かな「まんだらの里」作谷沢地区入り 奥深くもやさしい山容
↑ 旧郵便局の建物が立派に保存されていたが、郵便局でない施設となっていた。それでも山形市の市街地からはすっかり消え去ったレトロな郵便局舎がここで見られて嬉しかった。(山辺町簗沢地区)
↑ さすが民話の山里、石に刻まれた大黒天が路傍でやさしく出迎えてくれた。(山辺町簗沢地区内の小中学校の近く)
↑ 山形県のど真ん中に位置する白鷹丘陵の中の小盆地ではささやかな農業が営まれている。このあたりに山形城の出城である畑谷城を攻撃する米沢の上杉軍の軍勢があふれていた。丁度関ヶ原の戦いの頃であり、両軍の戦死者にまつわる悲しい民話も残されている。周囲の山々は今も変わらずこの小盆地の移ろいを見守っている。
この一年間このブログをご覧なられた方々に対し厚く御礼申上げます。