やっと冬休みが終わった。
センター試験は目前だが、今日ばかりはつかの間の外出・・・「かしわ家」初詣である。
奥さんと受験生のれい(仙人)とあいを連れて「かしわ家」のドアを開ける。
いつものように臼井(4期生・臼井自動車)がカウンターに座り、中日スポーツを読んでいる。
そしてテーブルにはユタカ(7期生・三重銀行)が鎮座。
カウンター越しに、越知の姉ちゃん「本当にお久しぶりで・・・」
休みが明けて、さっそく駆けつけたのに少しばかり厳しい挨拶。
臼井に尋ねる、「祐臣(13期生)の正月の成績はどうだった?」
「ええっとね、正月三が日は今イチやったけど後半から良くなったはずやけどな」
中日スポーツをめくり競艇欄に目を凝らす。
「あっ! 祐臣、昨日は勝っている」
祐臣の勉強に対する姿勢は13期生のなかではピカ一。
研ぎ澄まされた切れ味はなかったが、いい意味での愚直。
同じミスは2度と犯さない・・・ケアレスミスはほとんどない。
指導者からすれば最も安心できるタイプだった。
教室の後ろから見ると、勉強している皆の背中がある。
そんななか、祐臣はいつだってきれいな背中をしていた。
背中を見るとその生徒ができるかどうか大体分かる。
俺だけではない、ウチの塾で育った奴や医学部の学生たちも、後ろから眺めていると成績のいい生徒をほとんど当てる。
きれいな背中のなかでも、人を寄せ付けないオーラを出している生徒と、いつでも質問してもいいよオーラを出している生徒の2種類に分かれる。
13期生では前者が祐臣、そして後者は村瀬(オービック)だった。
二人とも横綱相撲で志望高校に進学した。
祐臣は津西へ、村瀬は津高へ。
祐臣が野球部キャプテンだった時代が、津西野球部の黄金時代だったんじゃないか?
春の大会では三重高に勝って東海大会に出場した。
そして迎えた最後の夏、準々決勝で再び三重高とぶつかる。
かつて、このときのことを祐臣は以下のように言った。
「春の大会では三重高の選手たち、津西に負けるはずがないって感じで、試合開始の整列もダラダラしてたんですよ。こっち見て笑顔なんかあったりして・・・そんな奴らを眺めながら、絶対に勝ってやろうって・・・そして勝った。その自信があったから皆、夏の試合も勝てるぞ!って試合に臨んだんです。ところが試合前にね、三重高のベンチの方を見ると、もう整列してるんですよ。それも真剣な顔で・・・。俺たちなんて、まだまだやって感じでベンチの周辺でウロウロしてたんですけどね。三重高の選手たちが整列して、真剣な眼差しで試合開始を待っている・・・こりゃ、今日はヤバイかなって・・・」
そして津西は準々決勝で敗れた。
そんな祐臣、塾で深夜まで勉強して家に帰ると、まずはテレビをつけたとか。
受験生のささやかな楽しみ。
深夜帯に放送していた番組が競艇。
高校入試に臨んでいた中3の頃には、すでに競艇選手への憧れを抱いていたという。
しかし、まずは野球があり、大好きな津西で野球をしたいという欲望のほうが勝った。
ところが高校最後の夏が終わり、大学受験の勉強を始めた頃、再び競艇への憧れがぶり返す。
祐臣の心の中でみるみる膨らんでいく。
この衝動こそが祐臣を競艇の世界に引きずり込むことになる・・・。
祐臣がキャプテンだった頃の津西の試合を見た野球少年たちが、大挙して津西進学を志すことになる。
去年の夏の地区大会のパンフレット・・・津西野球部は総勢70名を突破している。
いつしか県下で最も部員が多い野球部となった。
そんな大所帯・・・それは、三重高とシノギをけずったあの夏から始まったのだ。
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