突然、斉藤太郎(北海道大学3年目の1年)から電話。「クラキマイって知ってるか?」 「なんや、それ。知らんわ」 「今度デビューする歌手なんやけどな」 「それがどうした」 「明日CDが発売されるねん。俺は買う」 「勝手に買えや。で・・・なんや」 「先生も買え」 「アホか! なんでオマエが好きやからて俺が買わなアカンねん」 「あれは聞かんと塾の生徒の気持ちが分からんぞ」 「で、なんや、そのマクラは? まだ何かネタあるんか」 「実はさ、ヒロミちゃんの妹って立命館高校やったよな?」 「ああ、そうや」 「何年生や?」 「・・・知らんよ」 「倉木麻衣(後に生徒たちから漢字を聞いた)は立命館高校に通ってるんや」 「なんや、ヒロミちゃん経由でサインでももらおうってか」 「ちゃうちゃう、今な、倉木麻衣はイジメにあってるらしいわ。噂が北海道にまで伝わってきた」 「何感動してるねん? で、原因は?」 「まあな、宇多田ヒカルの物マネやとかな・・・」 「宇多田ヒカル? ああ、藤圭子の娘か?」 「思考が完全にオッサンやな」 「ほっとけ!」 「確かに似てるんは認めるけどな・・・、その噂が真実なのかどうか」 「分かった分かった、今度大阪へ行くからヒロミちゃんに聞いといたるよ」 「よし」 「バカ野郎、何がよしだ!」
しかし大阪ではヒロミちゃん(渡部裕美・京都教育大2年)にすっぽかされた? 1時間待っても来なかった。俺はデンちゃんの奥さんが経営している喫茶店『ベン・シャーン』に行った。デンちゃんのバンド、『セルフィッシュ・ベベ・バンド』の演奏は3時から。それまでの時間をコーヒーでも飲んでいようと考えた。カウンターには久しぶりに会うSさんがいた。以下の内容ゆえに名前はイニシャルにしておく。Sさんは関西圏のいくつかの大学で英語の講師をしている。俺もまた塾を生業としていることから話題は自然と最近の大学事情となった。以下はその時の概略・・・
「中山は俺が立命館大学で教えてるの知ってたよな」 「ああ、Sさん前に嘆いてたやん。立命館は200人教室に生徒を詰め込んで英語の授業やるって」 「そうそう、だから授業内容も工夫してさ。生徒を当ててる時間なんてないしさ。英語の歌の歌詞を題材にして比較文化論風にアレンジしてやってたんや。それが去年1年間は他の大学からぜひにと言われて授業を増やして、立命館のほうは休んでたんや。それで今年1年ぶりに立命館を訪れた。俺を昔に立命館に引っ張ってくれた人の姿がない。それで、事務の人にどうしたんですか?って聞いたら辞めたって。事務の人がその教授から俺あての手紙を預かってるって言う。その手紙を見たら『S君。突然だが大学を辞めることにした。身体がもたない。君も早く辞めたほうがいい』って書いてあった」 「理由は?」 「うん、去年から英語の専任講師として立命館にマイケルっていうアメリカ人が入ってきたんや。これがさ、学術畑じゃなくて海兵隊出身なんや」 「そりゃ、珍しいな」 「だろう? で、このマイケルが英語の授業に口出し始めたんや」 「口出しって大学の場合は授業は専任であろうと非常勤であろうと、各講師の自由裁量に任されているやん」 「確かにな、でも立命館は去年からマイケルを中心に全ての英語の教官に教材を配布した」 「つまり、それって授業内容がみんないっしょってこと?」 「そうや。それも本なんかを渡すんじゃんくてさ、授業当日にその日にやるヒアリングテープとそれに関する問題を渡す」 「どんな授業内容なん?」 「1コマ90分のうち、前半40分でヒアリングテープを聞かせてその内容の論述試験、10分休憩後に再び後半40分で2回目の試験や」 「ヒアリングばっか?」 「ああ、それを毎時間やるんや」 「毎時間って? それで単位はどうなるの?」 「毎回試験して60点以下は落ちる」 「一度でも落としたら単位取れへんの」 「細かい基準は分からない。ただ、今年も今の段階で落ちてないのは10%もいない。でもこのままいくと、ほとんどが落ちる」 「その英語は必修?」 「ああ・・・」 「全学部?」 「ああ」 「ということは・・・卒業できる奴って・・・」 「英語ができる奴か? でもほとんどが壊滅状態やな」 「そのヒアリングのレベルってどうなん? 方法論としてはいい方法やん?」 「確かに方法論としてはな。ただ、どう考えても今の学生の英語のレベルとではかけ離れている。難しすぎるんや。ちょっと背伸びした程度のヒアリングやったら俺も賛成するわ。でも差が歴然としすぎている。なにしろ講師の中にも『今日のは分からんかった』っていう人がいるくらいや」 「立命館ってさ、最近いろんな入試やってるやん。AO入試とか一芸入試とか・・・」 「だから、そんな奴らにすりゃますます最悪なんや」 「そりゃひどいな」 「でもな、それだけじゃないんや。マイケルは試験の結果を教官にその日のうちに大学側へ申告するようにと命じたんや」 「採点してから?」 「ああ、申告はパソコンに入力する。だから自宅からでもかまわないと言っているけどな。その場合、パソコンがなければ自前で買えと言ってる。そしてな、それにかかる時間には手当が付かない」 「え!」 「当然、採点もしてその結果をパソコンに打ち込む作業、俺でも3時間くらいはかかる。俺でも3時間・・・」 「あ!」 「中山、気づいたやろ? そや、高齢の教授なんかはパソコンなんか打ったことがない人、世間の人が想像する以上に多い。そんな人にとって一体何時間かかることか・・・」 「だから・・・身体がもたない・・・」 「ああ・・・」 「で、Sさんはこれからどうするの?」 「マイケルはなぜか俺にだけは口出ししてこない」 「他の講師の人たちは?」 「正直言って、今の立命館内部は爆発寸前やな。来年あたり講師が一斉に辞めるかもしれない」 「そうなったら?」 「マイケルのメガネにかなった連中が入ってくるんやろな。現に今春から腰巾着みたいな奴らが何人か入ってきている」 「大学側の目的は・・・リストラ策? コストのかかる高齢の講師の退職の追い込んでの・・・」 「そんなとこやろ。確かにコスト削減には貢献しているな、マイケルは・・・」 「ノッチン(後野大阪工業大学教授)が言ってたよ・・・関西圏の私大で生き残るのは立命館やって」 「確かにな、立命館はあの調子でいったら生き残るよ」 「でも俺の立場からすると、英語の苦手な生徒を受けさせるのは酷やな」 「ああ・・・、学生たちと話してても3か月過ぎてもヒアリングがさっぱり分からんって言ってるよ」 「留年が大勢出るよね」 「ああ・・・、出るだろうな」
デンちゃんの一人息子、茂太(もた)が店に顔を出す。「茂太、いっしょにオヤジのかっこええとこ見にいこや」 茂太は「いえ、僕は結構です」 「なんでや」 「僕はああいうのかっこいいとは思えやんから」 「やっかいな息子やな。45歳になってもロックやってるなんて誇れるオヤジやで」 横合いからデンちゃんの奥さんのマッチャンがささやく。「だめなの、この子。お父さんのああいう姿は絶対に見たくないんだって」
45歳のオヤジのロックは気色良かった。まわりの面々もかつて関大を中心にして活躍した面々。俺にとっても懐かしい。稲ちゃんのギターは昔と変わりなく絶品だった。デンちゃんの結婚式以来の対面、デンちゃんは大阪千里のラクスマンホールでコンサート形式の結婚式を挙げた。新郎自らがボーカルを担当、そしてバックを務めたのがこの日集った面々。ちなみに俺は司会、サンバイザーにエプロン姿に下駄という出で立ちで司会を務めた。あの時、マッチャンのお腹のなかに茂太がいた。その茂太もいつしか高2、45歳になっても何かにこだわりつつ生きる濃いオヤジを持て余す年齢になったわけだ。
盛り上がった二次会の喧噪が収まりかけた頃、宮口が到着。空腹だという宮口と二人、天神橋六丁目、通称天六へ。ここには大阪一安いと評判の寿司屋『春駒』がある。大学生の頃、俺はこの店に通うためだけの目的で、下宿を吹田から天六に移した。店構えはあの頃と同じ、しかしカウンターの中は見知らぬ顔ばかり・・・当たり前か。宮口と競争するように注文していく。皿がみるみる積み上げられていく。まいったのは「サバ、ワサビ抜きで!」「ハマチ、ワサビ抜きで!」と声を張り上げる宮口の必殺ワサビ抜き攻撃。宮口の携帯が鳴り、日比が来るとのこと。玉造の駅で待ち合わせ、3人して中村(近畿大2年)のバイトする店へと向かう。店じまいをした中村と落ち合い、遅くまでやってる居酒屋へ。
昼間っから飲みっぱなしの俺、さすがに冷酒や焼酎とはいかない。軽めの焼酎割りを頼むと中村が「先生のそんなとこは見たくないな」とジャブを繰り出す。「うるせいな、倒れそうなんだよ」と俺。「そうや!先生」と中村が素っ頓狂な声を上げる。「なんや」 「ホンマに古西が津高で1番になったん?」 「えらい情報速いやん」 「塾のホームページ、チェックしてるからね」 「なんなん!それ」と日比が横やり。「ほんまなん? ホンマやったらなめとるわ、あいつ」 「数学、力ついとるん?」と中村。「慶応は単答式の問題や。古西にはむいてるわ」と俺。「よっしゃ! 俺が夏に帰ったら古西と勝負したる!」 「勝負って何の勝負だ」 「数学や数学」 「そういや俺、久居の花火大会の日に波多野とDUO;3.0の勝負するねんで」と日比。「そんな話になってんの?」と自覚のない塾経営者。「ああ、5月の連休の時に約束したんや。そや、中村先輩、いっしょにDUO;3.0の勝負やろうよ」 「アカンわ。英語なんてもう忘れたわ」と泣きの入る中村。「そういや、波多野は頑張ってる?」と日比。 「国語がついに偏差値40を切った・・・、今日はどこまで行くのやら・・・やな」 「何やってんねん!あいつ」 「電話でハッパかけてやれよ」 俺たち3人がワイワイやってる間にも宮口は雑炊を注文している。「オマエ、アフリカ難民か」と俺。「いやあ、食える時に食っとかないと」と平気な顔の宮口。「そういや、ヒロミ先輩は?」と日比。「今日、関大前で待ち合わせしょうやとメール出したんやけどな。来んかったんや」 「また、何かヒロミちゃんを怒らすようなこと言うたんちがうの」と中村。「別にこれと言って・・・、そや!斉藤のネタ伝えやなアカンかったのに」 「なんなん。斉藤先輩、何かあったん?」 そして俺は倉木麻衣がらみのネタを話す。「ヒロミちゃんから妹に聞いてもらわんと」 「先生、倉木麻衣なら転校したよ」と中村。「え! なんでオマエなんかが知ってるねん」 「ウチの店でバイトしてる女子高生が言ってた、『倉木麻衣がイジメられて立命館高校からウチの高校へ転校してきた』って」 「そりゃ、どこの高校なんや?」 「さあ、今度聞いとくよ」 雑炊を食い終わった宮口がおもむろに口を開く。「先生、僕は桐原2章の試験やりますよ」 「なんやて! オマエ、まだ英熟語覚えてるの?」 「まだまだ現役っすよ。高校生なんかに負けへん」 「負けへんって、オマエ。アスカちゃん(妹・津西1年)に負けたらどないすんねん」 「あんな奴に負けるはずが・・・、もし僕が高校生に負けたらメシ奢ってやりますよ」 「2万くらいいるぞ」 「失礼な」 「で、いつにする?」 「8月は盆までクラブの合宿がありますから・・・、17日あたりでどうですか」 「かまへんよ。塾にもどったら皆に言うとくわ」
夏休みは現役にとり大学受験の正念場となる。大学生となったかつての受験生たちは夏休みに帰省すると古い塾の高3たちと勝負をする。種目はかつて自分が得意としたジャンル。自分がバイブルとし擦り切れるまで慈しんだ問題集で現役との勝負に臨む・・・高3のテンションを下げさせないために。こんな伝統が夏の高3を強くする。
この日は宮口の下宿へ泊まる。宮口はベッドに、俺は床に。宮口はふかふかのベッド、俺は固いフローリング・・・なめとる!
ノッチンこと、大阪工業大学後野教授は11日、午後6時に到着した。途中、道を間違えて関インターで降りてしまったというが無事に到着。8時頃から講義が始まった。出席した面々は理系&文系に悩む高1中心、そこへ理系に進んだ高2と高3、そして自由参加の中学生たち。当初は中2の直矢だけを想定していたが、中1があれよあれよと参加、教室内はほぼ満員状態。「こんだけ中学生が多いと話す内容を考えなあかんな」と一人ごちる。「人が興味を持つ対象を大きく2つに分けると、人に対する興味、そして物に対する興味。この2つや。人に対して興味を持つ人は文系に進め。そして物に対して興味を持つ人は理系に進むこと」 後野教授、第一回講義が幕を開けた。
内容は簡単な実験を通して「塾に来るくらいやったらもっと遊べ」と実学の勧めを説きつつ、大学進学で学部を決めるにあたり将来自分が何でメシを食っていくか?を真剣に自分に問いかけろとのメッセージを投げかけた。ウチの塾で物理を教えている村田君も出席。実験ではさっそく当てられる。細長い紙を折ってホッチキスの針のような形をつくる。それを机の上に橋のように立てる。橋の下の部分に息を吹きかけるとどうなるか? 村田君、しばし考えて「下に沈むと思います」 しかし村田君以外の出席者は全員が息に吹き飛ぶ、あるいはひっくり返るなどの答。そしてノッチンが実際にやってみせると・・・紙の机と水平部分が震えながら下に沈む。「さすが大学生やな。当たったよ」 そして全員を見渡して「不思議やとか、おかしいと感じた人?」 卓(高田Ⅱ類1年)たち数人が手を挙げる。「じゃあ、自分たちでやってみたら?」 腰をかがめて息を吹き込み始めたのは、やはり根っからの理系希望者が多い。違和感ある現象に対して感性が鈍っている生徒が目立つ。ノッチンが言う。「自分のまわりでな、いろんなことが起こる。そのいろんななかで『あれ?』って思うことがあったら心に留めておくんや。これ、絶対にや。その時分からんかってもいい。ただ『不思議やな、何でやろ』、この疑問を心のどっかに置いておく。いつか分かる、何かの拍子に、大学で先生が説明してくれた時『あっ!これや』なんて、いつかその疑問は氷塊する」 そしてコンピューターのバイトからメガの話に移り、コンピューターが認識する量よりも人間の記憶量は遙かに多いんだと説く。「人間の持つ記憶量、つまり君たちの持っている頭脳のすばらしさは例えようがない。小学校入学式の時に校長先生が話してくれた内容は忘れても、校長先生が着ていた服、お母さんが着ていた服は覚えている。この記憶を勉強にも役立てること。文字を追うんじゃない、絵で理解するんや。どんなことでも理系教科は絵で表せることができる。因数分解でもいっしょや。公式を暗記するんじゃなくて、その公式を絵にして理解していく。理科の教科書やったら、文章を読む前にそのページにあるグラフやら写真をじっと見つめてみる。そこには文章に書かれていることよりも遙かに多くの情報量が詰まっている。それを理解するんや」
俺はノッチンの講義をまとめにはいる。「ウチの塾の大学入試に対するスタンスは、文系は大学に入ったら授業は適当でいいから、いろんなことをして自分の人格を磨けってこと。バイトでもいいし、留学でもいい。とにかく目的意識を持って遊ぶことや。就職試験ではあらゆる人格が問われる。よく言うように自分が好きなこと、興味を持つことを1時間以上延々と熱っぽく話せる奴、こんな奴はどこだって合格する。しかし理系に進むと知識に立脚した知性が必要となる。さすがに遊んでばかりじゃダメさ。技術を修得したうえで人格が問われる。技術だけではダメだし、かといってキャラだけでもダメさ。そんな奴は就職できない」 これに対しノッチンがすかさず反論する。「今な、塾頭が言ったなかで気になったのは就職って言葉や。別に就職する必要なんてないんや。自分のやりたいことがあったら一人でだってできる。毎日新聞で『世界一の日本企業』という特集を組んでた。そのなかでかなりの会社が20人にも満たない小さい会社や。そんな会社はある特定の技術では世界一なんや。理系の場合は企業の大小なんて関係ないんや。だからな、俺がさっき言ったように就職ではなく、『何でメシを食っていくか?』ってことを真面目に考えてほしいんや」 これには俺が一本取られた、確かにそうだ。就職する会社に合わせるんじゃなく、自分がやりたいことがその会社にあれば就職してもいい。なければ自分でそんな会社を作ってしまえばいい。文系にもその意味での起業家はいるだろうが少ない。やはり起業家たりえること、これは理系の特色ではないだろうか?