『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

お知らせ

津・松阪地区で高校入試における内申でお悩みの方は、無料相談承ります。
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伊勢高の懇談会

2012年10月30日 16時56分59秒 | 高校資料

集まった塾関係者は8人だったか・・・中川先生の呼びかけで集まった方々だが、みなさんスーツ姿で来られたのには恐縮してしまった。それでも余所行きのジーパンとシャツなのだが説得力はない。

一番の懸念は内申29から27あたりを高校側がどう見ているのか・・・これがウチの塾としては最大の懸念事項。

先日の津東では校長先生との廊下の立ち話のなか、「30ないとちょっと・・・何か問題があるのかなと思ってしまいますよね」とのコメント。昔の相対評価が風化しちまい、今や絶対評価が大手を振ってまかり通り高校側も馴染んでいるようで評価が「2」というのは御免こうむるとのニュアンスの発言もあった。

この津東の空気は南勢地区でも蔓延しているのかどうか・・・。射程内では伊勢高と宇治山田高校。伊勢高は全県模試のデータを見ると内申は少なくとも37は必要だ。さて宇治山田高校はどうか・・・伊勢高の懇談会の後にでも出席した塾の先生に聞いてみたいと思っていたら、始まる前に顔だけは拝見している先生から声をかけていただき立ち話。そこで宇治山田高校の最低内申を聞いてみたが・・・「宇治山田高校が最近下降ぎみだといっても、やはり内申は32くらいは必要だと思いますよ。当日の点数は160点くらいかな」 さらに岸本先生、花粉症のマスク越しに「中山先生、内申が29や28あたりじゃ受けても無理ですよ」と厳しいコメント。

この段階でほとんど今日の目的は達したわけで・・・かなり陰鬱な気分で会議室に入る。

「やはり、内申が20台の生徒さんは何がしかの問題があると思ってます。いろんな生徒さんを受け入れるのが公立高校の役目でもありますが、合格させてすぐに辞められたのでは・・・」

高校側の認識としては内申20台の生徒に対して問題行動があると捉えているようだ。そこに岸本先生が論陣を張る・・・「SSHを実施しているわけですから、内申もよくて9教科がそこそこに点数がある、そんな優等生の典型のような生徒から科学者なんか生まれないんじゃないでしょうか。特化した興味や関心を伸ばして科学者や技術者を養成する・・・そんな資質を備えた生徒はバランスではなく偏りがあるんじゃないですか」 そして岸本先生が提案したのが数学や理科の傾斜配点だ。

そして俺・・・「内申が20台だからといって生活習慣に問題があるとの判断をされていらっしゃるようですが、ウチの塾にはおとなしい、授業には真面目でも積極的に取り組めない・・・ただそれだけで評価が3から動かない生徒が多々います。今の内申は言わば就職活動のようなもの、3年間かけて自分が行きたい高校を先生方にアピールし、いかに行きたいかを事あるごとに語る・・・そんなプレゼン能力に長けた生徒は内申がいい。得点はそれほどでなくとも授業への積極性が買われて5や4を頂ける。内気とかシャイだとか、成長期では当たり前の性向から抜け出せない生徒は3のまま・・・どうか、そんな生徒たちにチャンスを与えるために、第一次内申枠100%をなんとか110%にしていただけませんかね」

「まあ、今年は無理ですが・・・傾斜配点と110%枠というのは来年以降の検討課題ということで・・・」と教頭先生がコメント。

 

いろいろ勝手なことばかりを発言したが、校長先生と教頭先生には丁重にお答えいただいた。感謝してます。

少なくとも高校は努力している。それは津高も津東も、そしてこの日の伊勢高も将来ある生徒たちの資質を高校の3年間で最大限に伸ばそうと努力している。それはほんまに認めます。ただ、先生方の視線がトップ層に向いている・・・ことに津高と伊勢高、そこが気になるんやね。

まだまだ書き足りない・・・この稿、続く。

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思えば遠くへ来たものだ この先どこまで行くのやら

2012年10月30日 07時34分55秒 | ハレ

直江津の旅館『有楽』の朝、シンちゃん(鳥羽爽風塾塾頭)が早起き、午前6時から徘徊・・・じゃなくて散歩に出た。帰って来て起こされて散歩の様子を逐一、異常なほど詳細に聞かされる。あげく、また行くぞと腰を上げる。トイレに入ってから出るとシンちゃん、どっちに向かったか分からない。仕方なく奥さんの部屋をノック、二人で1時間ほど散歩する。

朝食後にマイクロバスで迎えに来てくれた『宮田屋旅館』の主人、今日も愛想すこぶる良く、シンちゃんのリクエストで高田城を案内していただく。そしてそこでこの旅で初めて全員でのショット・・・

『宮田屋旅館』に到着、皆で『トンカツの梅林(ばいりん)』まで歩く。朝に店まで来てほしいと耕治(10期生)から連絡があったのだ。

高田駅近くにある『梅林』に到着、里恵(7期生)が耕治に連絡。すぐに自転車でやって来る耕治、どうやら買い出しだったのか・・・どう見ても市場のアンちゃん、風景に馴染んでいる。店の中に案内されるものの喧騒、謙信SAKE祭の二日目がそろそろ始まる・・・祭の準備の真っただ中。

このスナップを撮るためだけに500kmを走って来た。

写真に納まるとき、耕治が「先生、真ん中へ」とつぶやく。・・・ダメだ、初対面の奥さんの横なんて照れるやん。

普段の耕治は口数が少ない。酒を飲むと滑らかになる。饒舌な耕治に初めて出くわしたのは大阪、近畿大学2年の頃。1年後輩となる宮口(11期生・住友電装)が近畿大学に進学した年の初夏だ。福島近くの飲み屋、銚子を開けるごとに口数が多くなり、陽気になる耕治を眺めながら、それまでの塾での生活では分からなかった一面を見たようで驚いた。

次に飲んだのは新潟・・・耕治が上越のパナソニックに入り、美穂(10期生)が新潟大学在学中の頃だっけ。今から10年ほど前・・・新潟の飲み屋でしたたかに飲み、誘われるままに美穂の下宿に泊めてもらった。

耕治と美穂、10期生の二人と続けざまに会った。

二人ともが三重という地を離れ、それぞれ上越と岩見沢を終の棲家として暮らしている。二人はともに熱っぽく地元での生活を語る。その屈託のなさに嫉妬する、・・・安堵する。そしてこの二人を受け入れてくれた町やそこに住む人々に心から感謝する。

 

耕治、やはり飲みながら奥さん交えて話したいねえ・・・話したいことや聞きたいことはまだまだ無数にあるんだ。今度は宏樹(10期生・松阪市民病院薬剤師)でも連れて・・・連れられて行くことにする。

そして美穂、来年は金婚式か銀婚式か銅婚式か、そんなんらしいから、なんとかしてスープカレーを食べに行くつもりだ。亭主に友達申請しておくからよろしく伝えておくように。

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旅館が予約日時を間違えた・・・なんてこと、実際にあるんやな

2012年10月30日 00時08分28秒 | ハレ

さて話は誕生日・・・暖かい土曜日の上越、主催者たる俺は千鳥足でその日の宿だと聞いていた宮田旅館まで戻る。その頃にはみんなが戻っている。「で、どうよ」 「宮田旅館には明日の宿泊名簿に俺たちの名前があるねん」 「なんでやろ」 「まあ、予約するほうが間違えたか、旅館が間違えたか」 「そりゃ大変やな、じゃあキャンプか」 「オマエ、本気で言ってんの」 「いやいや・・・で、どないするねん」 「今、上越市内の旅館を探してもらってるねん」

そしてやっと直江津のほうに旅館が見つかったという知らせ・・・「ここからその旅館までマイクロバスで送ってくれるって、そして宿泊代は同じ・・・4500円や。明日はまたその旅館まで迎えに来てくれるってさ」と大垣。「よく言えました」と俺。「アホ! 本来ならオマエの担当やろ」と大垣。

そして俺たちは直江津方面へ。ちなみに直江津は昔は直江津市、それが合併して上越市になった。自転車で旅行していた頃の直江津は日本海沿いの寒村というイメージしかない。

日本海を目指してマイクロバスを運転してくれたのは宮田屋旅館の主人。途中で高田城にまつわる話なども聞けて市内観光のノリで旅館『有楽』へ。通された部屋は2階の大部屋・・・じゃなくて、ドアに鍵がない。たぶん2階のお客が食事したり宴会したりするスペースだろう。調子に乗ったシンちゃん、「マージャン牌ある」と聞くと女将、「確かどこかにあったはず・・・」と広いスペースを隅から隅へと・・・これがまた見つかる意外性が嬉しい。

2組の牌が出てきて里恵(7期生)と陵(18期生)とで仕分けが始まる。そして食事までに半荘1回・・・怒涛のトップのはずが森下(8期生・研究者)の猛追にあい、極差のトップ。そして食事が始まる。

乾杯の音頭は自覚のない主催者の俺・・・

「昔っから新たな友人関係を構築するのが好きだった。ここにいるシンと大垣もどんな化学反応が起きるかと思いつつ紹介した。犬猿の仲になるかと思いきや、いまでも悪たれを叩きあう仲だ。塾をやっても同じだった。この生徒とこの生徒を競わせたらどうなる、いっつもそんなことを考えていた。そして今夜は俺と俺のダチが50歳代、そして初期のメンバーが甚ちゃん(6期生相当県職員)と里恵森下と亮太(10期生・光近代塗装)、中期のメンバーは娘のれい(18期生・三重大学教育学部4年)と陵(18期生)の3グループ・・・世代を超えてお互いが刺激しあえるような複合体として今まで塾を続けてきたつもりだ。今夜はその縮図たる場だ」

・・・というようなことを言いたかったわけだが、なにせ主催者、酔いがまわっている。

 

『有楽』に駆け込んだ時には旅館側に夕食の準備はなかった。近くの『養老乃瀧』にでも行こうと考えていたが、女将の好意で2000円で食事を頼めるようになった。

旅館に着いたときからビールを注文、食事でも相好を崩しながらウイスキーをボトルごと注文。そのボトルも瞬く間に空くことになる。

部屋に戻っても、大学生のサークル合宿まがいのノリで時間が過ぎていく。一番早く倒れたのは俺、そして寝た奴にはエルボーや!と騒いでいた大垣が次に倒れた・・・とか。それ以降はどうだったか詳細は知らない。ただ、今回のツアーは想定外の螺旋、皆が皆、めっちゃ楽しかったと言ってくれたのが嬉しい。

そういや、誰も誕生日おめでとうとは言ってくれなかったような・・・。

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