『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

お知らせ

津・松阪地区で高校入試における内申でお悩みの方は、無料相談承ります。
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。

粟立つ

2011年02月02日 21時48分55秒 | 大学受験

香保(松阪高校3年)の医学部センター試験受験に多大なるアドバイスをしてくれた和司ちゃん(8期生・三重銀行)。地域医療に関するいろんな資料や疑似面接に立ち会ってくれ、あげく「まちなか集積医療」の講演会開催の知らせなど、・・・さすがに粟立ったのだろう、ふらりと姿を見せる。そしてまたもや資料を渡してくれる。

もう一つの目的は大西君(研究者)かな・・・今日来ると言う噂だったが、今にいたるまで姿なし。龍神(17期生・慶応大学法学部4年)とのメールのやり取りで午後11時あたりに出没するとか・・・。

その龍神もまた粟立っているのか。昨夜、ぼそりと言ってたっけ・・・「今まで綱渡りの人生を送ってきたのに今さら安定を求めるなんてね・・・就職活動をするなかで自分が小さくなるって思ってきたけど、しょせんそれは自分のせいなんですよ」

俺は今夜は松阪サーキット、俺までもが粟立っているのか・・・試験の見直しにあまりに手間取ってる喬之を怒ってしまう。

サッチャンから連絡あり。そういや、昨夜の午前3時に森下(8期生・立命館大学院先端文化生命)とマー君(あげた亭店主)から連絡があったが、その流れか・・・。「香保ちゃんの一次合格の発表はいつですか」 「明日やねん」 「うわっ・・・」 京都にもこっちの粟立ちが伝染する。

数学はいったい僕をどこまで苦しめるのか・・・皇學館入試のあと、そんな名言、いや迷言を吐いた凌之(りょうの)も今日から復帰。今夜は里恵の授業・・・鈴鹿高専の過去の国語の問題。やっかいなことに鈴鹿高専を受ける予定の二人の点数が低いトップ2・・・。

龍神と里恵と和司ちゃんが真ん中の部屋に陣取り、中3の作文を添削してくれる。クリアした生徒には新たなお題が示される。

 

クリックのほう、三重情報のほうも激励をお願いします。

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松菱で『上野商店』のサバのみりん干しを買う

2011年02月02日 18時01分43秒 | 塾の風景

直前の記事「この夜にさよなら」は未明に書いて予定投稿にしたもの。アップの段階では西名阪を飛ばしていた。iPhone4 持参で目的地近くの兜山公園で一休みした時に俺のブログをチェックする・・・確かに iPhone4 は便利だ。

高の原のそばのサティで昼食、俺は当たり障りのない話に終始する。ただ、やはり若者論が期せずして出てくる。若き美容師、今の現状に満足して「より以上の自分」を目指さない。

この類の話、原因は日本が成熟したからだと認識している。肉食系に代わる草食系談義もまた同様ではないか・・・。

帰りに津の松菱に寄るが駐車場が込み合っている・・・堂島ロール人気かもしれぬ。仕方なく表のバス停脇に路上駐車、奥さんに買いにいってもらう。何を? 紀伊長島の『上野商店』のサバのみりん干しだ。

奥さんエスティマのドアを開けるなり「交通費含んでる」と一言。値段が紀伊長島の店なら300円が、今日の物産展では350円だったらしい。「おばちゃん、覚えてた?」 「覚えててくれた、8日までここにいるからまた来てねって」

塾に戻ると里恵(7期生)がやって来る。高校生の授業は美帆とあいり(ともに松阪高校3年)のみ。今までのメンバーだった里歩(津高3年)と藍子(松阪高校3年)は県立看護へのシフトとともに国語をする必要はなくなったのだ。

伊勢新聞の記事・・・尾鷲に医師、「循環型で派遣」・・・を医療系に詳しい里恵に解説してもらう。センター推薦直前の地域医療がらみの記事だ、ほとんどの受験生がチェックしているはず。差をつけられてはならない。

 

クリックのほう、ほんまに頼んます。

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この夜にさよなら

2011年02月02日 09時41分21秒 | 大学受験

2月2日から8日まで松菱で全国特産展が開催される。そこへ以前このブログでも触れたように紀伊長島の『上野商店』も出店する。絶品のサバのみりん干し・・・明日は帰りに松菱に寄るつもり、夜は中西屋のキムチと相まって前祝いの宴会だ。

例年、高田高校の合格発表は地域や中学によって前日に発表されることが多々ある。とすれば、予定では3日の発表だが中学によれば前日の2日・・・つまり今日の発表もありうるわけだ。

そして運命の2月3日・・・この日は今年度のウチの塾の今年度の帰趨を決する三重大学医学部センター推薦の一次合格発表。推薦ゆえに各高校長へ通達が届く。ここをクリアできれば勝負は続く。しかしそうでなければ、その日のブログは写真を張り付けて終わり・・・旅にでも出ようか。

そして4日は俺は2階からダイブした記念日でもある。18年前のこの日、今や高田高校の教諭におさまった正知(7期生)がⅡ類に合格したことで当時は塾の前にあった飲み屋『大将』で痛飲。酔っぱらって塾で暴れては2階の窓からダイブした、というが作り話の匂いがする・・・今となっては闇の中だが。警察もやって来ては事情徴収・・・生徒から恨みを買って・・・あたりを考えたんやろな。当時は久居駅裏にあった三重中央へ搬送、手に負えないと松阪中央、これもまた当時は松阪駅の近くにあったが、そこへ救急車で運ばれた。

あの日は朝から珍しく雪が積もり、当時は日本鋼管のアパートに住んでいた俺は小学校入学前の双子の娘たちを急かしてファミマの駐車場で雪合戦をした。似合わないことをすべきではない・・・俺の経験則はこの経験から生まれた。

松阪中央病院の集中治療室、記憶が戻らない俺を当時身重だった奥さんは双子の娘の手を引いて毎日通ってくれたという。「このまま記憶が戻らない可能性もあります」・・・担当医が厳かに宣告する。その時のことを想像するつど、俺は奥さんを一生大切にしなければならないと一人ごちる。今もなお奥さんに敬語を使うのはその時の申し訳なさの裏返し・・・。

そんな俺が突如覚醒する。それでも記憶は定かでなく、誰もが知らない俺がいた。見舞いに訪れた塾生たちの目・・・不気味なものを眺めるような視線を今でも覚えている。ところが僥倖、ふとしたきっかけからタバコを吸うや、瞬く間に過去の記憶を取り戻す。

深夜になると病室を抜け出し待合室でタバコを吸いながら始発電車を待った日々。毎日通院するから退院させてくれと無理にせがんで退院・・・あれ以降、一度も病院には行かなかった。塾に戻るや、私立大学受験が待っていた。私立大学が終わるや、公立入試が待っていた。吐き気と目眩のスパイラル・・・ベッドに横たわりながら指示を出した。横で世話をやいてくれたのは当時中3だった里恵だ。

俺が入院している間にバイト募集に応じてやって来てくれたのが橋本ドクター、俺が不在のままでウチの塾でのバイトがスタートする。あの時から愛すべき医学部生たちとの付き合いが始まったのだ。

三重大学医学部の学生たち・・・数学や物理・化学は特化しているが、国語でこけた生徒が大勢を占めていた。これは今も変わらない、国語の圧縮配点で理系のなかの理系が三重大学に流れてくる。

3年前から医学部センター推薦が始まった。そこには特化した理系教科は必要とされず、ある一定の学力さえあれば人間性や倫理観が問われる試験が屹立した。この試験が是か非か・・・その評価は10年後あたりに下されるだろう。しかし俺はこの試験に期待している。医師には特化した物理や数学は必要がない・・・どうしても医師になりたい奴がなるべきなのだ。この気持ちを肝に銘じ、俺は明日の審判を受けるつもりだ。

塾を始めて25年・・・今夜はいつになく長い夜になる。

BGMは久しぶりに甲斐バンド・・・『この夜にさよなら』

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