「知財がテーマのコンテンツ」はなぜ少ないのか?
さてさて、ここんとこ多忙でブログろくに更新できていないところではありますが、企画ものですのでここは参加っ!…ま、出張中でもあり予約投稿なわけですが。
今年のお題は「知財がテーマのコンテンツ」、ということで、どんなのがあったかな、と思い出してみる。
・直近では、「それってパクリじゃないですか?」(ドラマ)。
実のところ一話も視てない(HDDには保存されている)…時間があれば視るかな。
何気に原作の小説の方は2巻とも読んでいるし書評も書いている。
・「特許やぶりの女王」も、比較的最近かな。“このミス大賞”受賞しているだけあって構成がしっかりしており、読み応えもあり。続編の「ストロベリー戦争」とともにこちらも読破済み&書評作成済み。
それ以外は…となると、「下町ロケット」とか、「知的財産村の財宝~知的財産剣®VSダーマス海賊団~」とか!?
そう。「知財がテーマのコンテンツ」って、少ない。
私が知らないだけかも知らないけど、でも多分、「医療」や「弁護士」をテーマにしたコンテンツと比べたらまあ少ない…。知財を標榜してないけどちょっとだけ知財なもの、というか人(エジソンとか平賀源内とか!?)を扱ったドラマも全部かき集めても、きっと文字通り桁違いに少ないのだろう。
なぜだろう…?と一応考えたフリをしてみる。
考えるまでもなく明らかで、
「知財のコンテンツは、ドラマティックじゃない」のだ。
いやまあ、実務をやっている人間にしてみれば、日々の発明相談やら発送書類やら突如送られてくる内容証明は、ともすると平坦な業務風景に凹凸をつけてくれる。ご相談を受けた発明が将来どのように世の中を変えるだろうと夢想するだけで実にワクワクするし、寝る時間を惜しんで書いた中間書類の結果登録審決を得られたりすると内心めっちゃガッツポーズをする。
しかし、これを“気軽に楽しめる客体にする=エンタメにする”、というのは、なかなか簡単ではない。
制度の知識が無ければどこにドキドキするのかの勘所が伝わらないし、それを劇中で説明するにしたって結構まどろっこしい。聞くところによれば「それパク」のドラマ、イマイチ受けなかったのは“説明が多くて理屈っぽいから”だったとか。そりゃ、そうなるよ。
でも。
じゃあなんで医療ドラマや法廷モノはエンタメになるのか?彼らの世界も極めて専門的でマニアックでテクニカルタームが多く常人には即座には理解ができない知識ばかりだ。
この点についても、ある意味はっきりしている。
「知財のコンテンツは、身につまされない」のだ。
例えば医療ドラマ。登場人物の誰かにとって大切な人の余命が僅かだとか、突如として原因不明の体調不良に苛まれるとか、或いは事故に巻き込まれて突如として生命の危機にさらされる、とか。
端的に言って、感情移入がしやすい。
法廷モノもそうだ。身の回りにもめごとは枚挙に暇がない。ドラマで扱われる事件は、もしほんの一筋自分の歩んでいる人生が隣だったら遭遇していたかもしれないものだ。だから、「つくりもの」であっても「リアリティ」がある。
しかし、だ。
例えば商標の先使用権を主張するにあたっての周知性を立証するにあたっての困難性、地道なヒアリングとエビデンスの確保、大事な大事な日付の確認、使用の事実とレピュテーション両方の整備に基づくロジックの構築・・。ここをリアリティをもって描写すればするほど、受け手にとっては「他人事」になり、「リアリティ」は確認できないものになっていく。
そして、われわれの業界は、それでよいのだよ、とも思っている人が多いんじゃないかな、とも思う。
まるで“忍者の正体”は誰も知らなくても良いように。
知財人はしょせん「業界の黒子」。誰にでもわかりやすくドラマティックである必要なんかないよなぁ、
と個人的には思っている。
さてさて、ここんとこ多忙でブログろくに更新できていないところではありますが、企画ものですのでここは参加っ!…ま、出張中でもあり予約投稿なわけですが。
今年のお題は「知財がテーマのコンテンツ」、ということで、どんなのがあったかな、と思い出してみる。
・直近では、「それってパクリじゃないですか?」(ドラマ)。
実のところ一話も視てない(HDDには保存されている)…時間があれば視るかな。
何気に原作の小説の方は2巻とも読んでいるし書評も書いている。
・「特許やぶりの女王」も、比較的最近かな。“このミス大賞”受賞しているだけあって構成がしっかりしており、読み応えもあり。続編の「ストロベリー戦争」とともにこちらも読破済み&書評作成済み。
それ以外は…となると、「下町ロケット」とか、「知的財産村の財宝~知的財産剣®VSダーマス海賊団~」とか!?
そう。「知財がテーマのコンテンツ」って、少ない。
私が知らないだけかも知らないけど、でも多分、「医療」や「弁護士」をテーマにしたコンテンツと比べたらまあ少ない…。知財を標榜してないけどちょっとだけ知財なもの、というか人(エジソンとか平賀源内とか!?)を扱ったドラマも全部かき集めても、きっと文字通り桁違いに少ないのだろう。
なぜだろう…?と一応考えたフリをしてみる。
考えるまでもなく明らかで、
「知財のコンテンツは、ドラマティックじゃない」のだ。
いやまあ、実務をやっている人間にしてみれば、日々の発明相談やら発送書類やら突如送られてくる内容証明は、ともすると平坦な業務風景に凹凸をつけてくれる。ご相談を受けた発明が将来どのように世の中を変えるだろうと夢想するだけで実にワクワクするし、寝る時間を惜しんで書いた中間書類の結果登録審決を得られたりすると内心めっちゃガッツポーズをする。
しかし、これを“気軽に楽しめる客体にする=エンタメにする”、というのは、なかなか簡単ではない。
制度の知識が無ければどこにドキドキするのかの勘所が伝わらないし、それを劇中で説明するにしたって結構まどろっこしい。聞くところによれば「それパク」のドラマ、イマイチ受けなかったのは“説明が多くて理屈っぽいから”だったとか。そりゃ、そうなるよ。
でも。
じゃあなんで医療ドラマや法廷モノはエンタメになるのか?彼らの世界も極めて専門的でマニアックでテクニカルタームが多く常人には即座には理解ができない知識ばかりだ。
この点についても、ある意味はっきりしている。
「知財のコンテンツは、身につまされない」のだ。
例えば医療ドラマ。登場人物の誰かにとって大切な人の余命が僅かだとか、突如として原因不明の体調不良に苛まれるとか、或いは事故に巻き込まれて突如として生命の危機にさらされる、とか。
端的に言って、感情移入がしやすい。
法廷モノもそうだ。身の回りにもめごとは枚挙に暇がない。ドラマで扱われる事件は、もしほんの一筋自分の歩んでいる人生が隣だったら遭遇していたかもしれないものだ。だから、「つくりもの」であっても「リアリティ」がある。
しかし、だ。
例えば商標の先使用権を主張するにあたっての周知性を立証するにあたっての困難性、地道なヒアリングとエビデンスの確保、大事な大事な日付の確認、使用の事実とレピュテーション両方の整備に基づくロジックの構築・・。ここをリアリティをもって描写すればするほど、受け手にとっては「他人事」になり、「リアリティ」は確認できないものになっていく。
そして、われわれの業界は、それでよいのだよ、とも思っている人が多いんじゃないかな、とも思う。
まるで“忍者の正体”は誰も知らなくても良いように。
知財人はしょせん「業界の黒子」。誰にでもわかりやすくドラマティックである必要なんかないよなぁ、
と個人的には思っている。