大阪府河内長野市の南海高野線天見駅を午前10時に歩き始めて1時間15分後に、高野街道は和歌山県に入りました。
メンバー11名のうち60歳代後半が3名、8名が70歳代という年齢構成ですが、雑談を交わしながら歩いている皆さんは元気そのもので、標高400mの紀見峠も何のそのと言う感じで上りきりました。
「紀見峠」
紀見峠(きみとうげ)は、和歌山県橋本市と大阪府河内長野市の境にある標高400mの峠です。
紀伊国と河内国の境で、高野街道の中継地であり、「紀伊見峠」とも表記されるそうです。
・大阪府と和歌山県の県境にある紀見峠です。
「番所跡」
慶安元年(1648年)には和歌山藩が峠に番所を設置していました。
峠は高野山への参詣者で賑わい、紀伊側には宿駅が設けられていたそうです。
「高野山女人堂へ六里石柱」
峠には「高野山女人堂へ六里」の石柱、六里石が建っています。
女人堂とは、高野山に入れない女性がお堂に籠(こ)もり一晩中真言を唱える場所で、女性はここから山内に入る事が許されなかったのです。
高野山の北西の入り口にある不動口にいまだ残る女人堂は、一千年余りの間女人禁制であった高野山の七つの入り口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物です。
「岡潔 生誕の地」
岡潔博士は世界的な数学者で、橋本市名誉市民です。
岡潔博士は数学に情熱を注ぎ、世界の誰もが手に負えなかった難問を一人で解明し、世界の名だたる数学者を「Okaとは、団体名でなく、個人の名前なのか」と驚愕させるぐらい偉大な業績を持ち、今日においてもなお数学界に影響を与えている人物なのだそうです。
・ここがその「岡潔博士の生誕の地」です。
紀見峠を下るメンバー一行です。
「葛城神社」
紀見峠を30分ほど下ると葛城神社が鎮座しています。
ここに掲げられている説明によれば、葛城神社の主祭神は素盞鳴命ですが、勧請の時期などは不明。
古老の言い伝えによれば正平4年(1349年)頃、戦火により旧記などことごとく焼失したそうです。
当地は紀見峠の山麓にあって高野山に至る街道として古くから知られています。
当神社は、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも称し、除疫神としての京都祇園社(八坂神社)が総社です。
牛頭天王は元はインドの釈迦や弟子の僧坊である祇園精舎の守護神であった。
「ムクロジ」
神社の境内にそびえるムクロジの大木です。
ここに掲げられている案内によれば、ムクロジは通常高さは10~15m、直径0.3~0.4mですが、葛城神社のムクロジは高さ29.7m、胸高幹囲4.2mであり、通常のものに比べはるかに大きく珍しい存在だそうです。
この株は高知県須崎市大谷の勢井白王神社境内のものに次いで全国2番目の規模とされています。
最新の画像[もっと見る]
- 「蛇の道は蛇」の由来 5ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 6ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 6ヶ月前
- 身近な野鳥「ムクドリ」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
- ニゲラの花「蕾から種まで」 6ヶ月前
高野山が、古くは女人禁制であったことを現代では忘れていますが、古道を歩くとそんな歴史の背景をなぞる旅にもなりますネ。
女人高野の室生寺を思ったりします。
男が修行するには、女気があるのは気が散り邪魔になると退けた考えも一部にあるのですが、立山も女人禁制でした。
でも、布橋灌頂会で疑似体験できる抜け道がありました。知恵ですね。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5e9760b1f5b230c082c67fe0faf774bd
>このフクロウは本物ですか。 置物のように見えますが・・・。
フクロウ人形と見比べると、本物な気がしますが、・・・
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/d5a0215704751e7d9bcee15e6b5fb3f5