らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

高野街道を歩く(1)

2016-05-24 | 趣味

一昨日、現役時代の趣味の会である「歴史探訪同好会」のメンバー11名と高野街道を歩いてきました。
今回は南海電鉄高野線の天見駅(大阪府河内長野市)から和歌山県橋本市のJR和歌山線・南海高野線の橋本駅までの約11㎞のコースです。
当日は快晴でしたが、最高気温が28度と、歩くには少し暑い一日でした。
今日から数回に分けて街道筋の旧跡などをご紹介します。

「南海高野線・天見駅」
今回は南海高野線・天見駅からスタートします。
天見駅は大正4年(1915年)3月に開業した無人駅です。
駅の西側には河内長野市内最古の温泉と言われる天見温泉が湧き、古くから温泉郷として栄えていましたが、寛延3年(1750年)の頃に大火にあって廃湯となりました。
1935年(昭和10年)になって当時の天見温泉の見取り図が発見されたことから地元では天見温泉再興の気運が高まり、復活して現在に至っているようです。
この地は「南天の里」と呼ばれるほど南天の多いところであり、家々の周りや石垣、畑などで数多く栽培されているそうです。

・集合場所の南海高野線・天見駅です。


「岩湧山」
天見駅の正面には岩湧山が望めます。
岩湧山(いわわきさん)とは、大阪府河内長野市にある山で、標高は897.7m、河内長野市を代表する山です。
岩崎元郎選の「新日本百名山」の1つで、山頂からは大阪平野、大阪湾を臨むことができるそうです。
また山頂付近の約8haは茅場になっており、秋にススキの穂が広がる様は美しく、新河内長野八景に岩湧山頂の花すすきとして登録されています。

・正面奥の山が新日本百名山の1つに数えられている岩湧山です。


天見駅から南西方向に行くと国道371号線に出ますが、この辺りを「出合ノ辻」と呼んでいます。
交通量が多いことから今回は「出会いの辻」を通らず、山沿いの道を歩くことにしました。
しかし、「出会いの辻」は嘗て合戦があったところなので特記しておきます。

「出会いの辻合戦」
「出会いの辻」の地名はいかにもロマンチックな名称ですが、じつは南北朝時代の古戦場があったところなのです。
正慶2年(1333年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍の紀州の御家人とが、この辻で出くわして、「安満見(あまみ)合戦」と呼ばれる激しい合戦が行われたことからこの地名となったものです。
信仰の道であるはずの高野街道も、南北朝時代には、兵馬が行き交う軍用道路として使用されるという時代もあったようです。

・出会いの辻を迂回して歩いた山沿いの道です。


・国道371号線と旧国道との分岐点です。高野街道は右側の旧国道なので、こちらへと進みました。



上記の分岐点から30分ほど進むと大阪府選定の自然歩道ダイヤモンド・トレールや金剛山、紀見峠などの案内板が立っている場所にたどり着きました。
ここから紀見峠まではあと少しです。間もなく大阪府と別れて和歌山県に入ります。




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1 コメント

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らいちゃん街道 (もののはじめのiina)
2016-05-24 08:38:15
定例の「らいちゃん街道」です。差し当たり、らいちゃんの「街道をゆく」であり、今回は「高野街道」篇ですね。
温泉にも入りながらの「高野街道」ではなさそうですが、もったいない気もします。

きょうのiina宅でも、「道」の成り立ちを考えてみました。さて、「道」になぜ「首」があるのでしょうか? 
ハイ、仰せの通り「道」の字の成り立ちは恐ろしいです。

>相撲の四股も同様に土中の邪悪なものを封じ込める意味があって四股を踏むそうです。
古い家屋のたたきを三和土とつづり、3種の土を混ぜ固くするのだと、たったいまの朝の報道番組で解説しました。
お相撲さんに四股を踏んでもらえば、三和土の固さは完璧です。

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