『今に正夢』を願いつつ購入した昨年の年末ジャンボ宝くじは今回も叶いませんでした。
全国の宝くじ購入者の中には当選番号と1数字違いで悔しい想いをされた方もおられるでしょう。
また、早とちりで当たったと勘違いされ、糠よろこびに終わる方もいらっしゃるかも知れません。
「ぬか喜び」とは、一旦喜んだ後、実は当てがはずれてがっかりするような儚い喜びを言いますが、何故、糠なのでしょうか?
今日は「ぬか喜び」の語源について調べました。
ぬか喜びの「ぬか」は、玄米を精白する時に生じる種皮や胚芽の粉末の「糠」のことで、その形状から、近世頃より「細かい」「ちっぽけな」といった意味で用いられるようになり、更に、「糠」が「小さい」の意味から派生し、「はかない」「頼りない」などの意味を持つようになって、はかない喜びを「ぬか喜び」と言うようになったそうです。
同じ意味で慣用句に「雀の糠喜び」があります。
これも雀が糠を見付けそこに米もあると思って喜んだが、糠ばかりで米は無くてがっかりしたと言う意味で、当てが外れて、初め喜んだのが無駄になることを例えたものです。
糠が細かいことを表す言葉には他にも、極めて細かい雨を指して言う「糠雨(ぬかあめ)」や、晴夜の大空に見える小さな星(糠のように細かく見える星)の事を「糠星(ぬかぼし)」という言葉があります。
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それこそ糠よろこびになりますね。
「ぬかるむ」が、あるいは「糠」に通じるかと調べたら、「泥濘るむ」と当てるそうです。勘違いし 「抜かって」しまい
ました。ぬかぬか難しいです。
親鸞聖人こそ煩悩のひとだと考えます。その悩みを基に、後の世の門弟たちが浄土真宗を浄土宗から別れさせ
たもののようです。僧侶なのに女犯の戒律が守れぬのなら、妻帯して「南無阿弥陀仏」と念仏すればよいと法然上人
が諭します。親鸞でさえ左様ですから、われわれ凡人はなおのこと煩悩に悩まされます。
さまたげになるのなら、それを受け容れ、ただただ念仏せよと法然の浄土宗は教えます。
これが人生で初めて「ぬか喜び」ということを意識した体験だったと思います。
森永マミー美味しいですよね。
我が家でも子供が喜んで飲んでいました。
森永マミーと書かれた箱が届くと誰でもマミーと思いますよね。
それが中身はコップだったとは、まさに「ぬか喜び」ですね。
このような経験は誰にでもあること想いますが、子供にはショックですね。