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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

台湾旅行(12)故宮博物院

2019-05-17 | 旅行

「初めての台湾5日間」の旅も、いよいよ最終日になりました。
この日は午前中に「故宮博物院」と「龍山寺」を見学し、午後ショッピングをした後、空路、関西空港に向けて帰国する日程となっています。
そこで今日は「故宮博物院」の素晴らしい文物の一部をご紹介することとし、「龍山寺」については次回に取り上げたいと思います。

「国立故宮博物院」は台北市にあって、中華民国(台湾)の有名な観光地であり、数多くの資料を所蔵しています。
この博物院はフランスの「ルーブル美術館」、アメリカの「メトロポリタン美術館」、ロシアの「エルミタージュ美術館」と並ぶ、「世界四大博物館」のひとつで、 古代から近代まで、約70万点の貴重な資料が収蔵されています。
ただし、常時展示されている文物は有名な宝物を含む、およそ6000~8000点であり、数ヶ月おきに入れ替えられているそうなので、すべての作品を見終わるまでには、最低10年程度は要するということです。

・故宮博物院の全景です。


「故宮博物院の歴史」
故宮博物院の歴史は、清(1644~1912年)の滅亡に始まります。
中華民国は、清朝最後の皇帝・溥儀を紫禁城から追放し、1925年に紫禁城を故宮博物院とします。
これにより人々は歴代皇室と宮廷が所蔵していた貴重な文物を見ることが可能になり、また博物院は中華の文化遺産を末永く後世に伝える施設になったのです。

しかし、1937年には、盧溝橋事件から日中戦争が勃発しました。
戦火を逃れるために博物院の文物は避難を余儀なくされましが。そして、さらに戦火が拡大すると、宝物も中国中を大移動することになり、重慶、明、楽山などを転々とし、四川省南渓の李荘に安置されました。

1945年、第二次世界大戦が終結すると、奥地に移されていた文物は南京へと戻されました。
しかし、国共内線で共産党軍が首都南京を脅かすようになり、蒋介石率いる国民党軍は1949年4月、宝物5万箱を台湾に移送したのです。
その年の10月に中華人民共和国が成立し、12月に国民党軍は台湾に移りました。

その後、台湾に移送された文物は17年間倉庫の中で保管されていましたが、1965年に現在地に故宮博物院が完成し、全面的に一般公開され現在に至っています。

「主な展示品」
「翠玉白菜」
翠玉白菜(すいぎょくはくさい)は、翠玉(翡翠)を、虫がとまったハクサイの形に彫刻した美術品で、故宮博物院を代表する名品の一つです。
翠玉白菜の大きさは高さ18.7センチメートル、幅9.1センチメートル、厚さ5.07センチメートルで、手のひらよりやや大きいくらいのサイズです。
原石は、半分が白、半分が緑のヒスイ輝石で、原産地は雲南からミャンマーだと推測されています。

原石には空洞などの欠陥箇所もありますが、この彫刻ではそれが白菜の茎や葉の形にうまく活かされているということです。
上部の緑色で白菜の色を再現していますが、これは人工着色ではなく、石に元から付いていた色を生かしたものだそうです。



「肉形石」
肉形石(にくがたいし)とは、清朝時代に作られたとされる長さ5.3センチメートル、幅6.6センチメートル、高さ5.7センチメートルの東坡肉(とんぽーろー;豚の角煮の一種)を模したとされる彫刻です。
素材は、粘土鉱物などを含んだ不透明な六面体の玉髄(ぎょくずい)で、含有物が層状に積み重なったことで生じる縞模様があります。
皮となる面には、豚肉の毛穴や粗い肌触りを表現するとともに、染料がとどまりやすくするため、びっしり小さな穴があけられています。
おいしそうな赤身と脂身の混じった「肉形石」は、「東坡肉(豚の角煮)」にそっくりです。



「毛公鼎」
毛公鼎(もうこうてい)とは権威を象徴する礼器として使用されていたものです。
刻まれている銘は32行、500文字で、世界で最も長い銘文と言われており、内容は、周王が周朝復興に功労があった毛公一族を称えたものになっています。
獣に似せた3本足に楕円形のカメ型という西周晩期の青銅器の特徴を表したこの形は、2800年以上も前のもので、もとは料理に使用したものでしたが、後に権威を象徴する礼器として使用されるようになりました。



「象牙(彫象牙透花雲龍紋套球)」
象牙作品の「彫象牙透花人物套球」は、19世紀に清代の象牙彫刻職人によって制作された直径約12センチの象牙球です。
透かし彫りで幾何学模様が施されており、24もの層からできています。
球体に整えた象牙に中心に向かって穴を開け、直角に曲がった鈎を用いて自在に動く球を一層ずつ掘り出し、さらに各種装飾を施すという、緻密で複雑な手法が用いられています。
受け皿となる象牙の台座にも、繊細な細工が施され、清代後期の象牙工芸品の代表作と言われています。
100年以上の歳月をかけ、親子3代に渡って制作された作品だそうで、その繊細な彫刻と存在感は館内でも群を抜いています。

・ピントが合ってなくて画像が不鮮明ですが、彫刻は素晴らしいものでした。

「翡翠の屏風」
翡翠でできている屏風です。
元々は中国から寄贈されたものであり、昭和天皇のもとにあったそうですが、終戦後に中国に返却されたようです。
48枚の翡翠でできていて、表裏の彫りがまったく同じとなっていますが、これは、裏も表もないということから誠実を表しているそうです。



「黄玉 髄三蓮章」
チェーン部分も含め、一つの石から作られているため、一切の継ぎ目がありません。

・これもピントがあっていなくて不鮮明ですが、見事な彫刻でした。
 

「藍地描金粉彩游魚文回転瓶」
魚が泳ぐ回転瓶です。
外瓶の深い藍地の窓から覗く内瓶のなめらかな白色は、無線七宝(むせんしっぽう)のぼかしによって、生き生きとした游漁の姿が際立ちます。内瓶を回転することで、游漁が4面の窓から遊泳する姿が見えるという仕組みとなっています。

「陶製の童子枕」
「白瓷嬰兒枕」です。
これはパンフレット載ってる有名な枕です。