「彦根城への旅」シリーズ、3回目の今日は、いよいよ本丸へ登城です。
表門からお城までの重要文化財などをご紹介します。
「表御殿、現在は彦根城博物館」
表御殿は彦根藩の藩庁があったところで藩の政務や対面儀式に使われた公的空間と藩主が日常生活を送った私的空間で構成されています。
この表御殿は明治維新後に取り壊されましたが昭和62年(1987年)に復元し、現在は彦根城博物館として開館しています。
「ひこにゃん」
ひこにゃんは彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成で、武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜を合体させて生まれたキャラクターです。
2006年4月13日「国宝・彦根城築城400年祭」のキャラクターの愛称公募で、名前が「ひこにゃん」に決定したことから、この日が誕生日とされています。
全国的に人気がある「ひこにゃん」は1日3回、下記の時間帯に登場しています。
10:30-11:00 彦根城天守閣前
13:30-14:00 彦根城博物館(表御殿)
15:00-15:30 彦根城博物館(表御殿)
・13:30-14:00に彦根城博物館に登場したひこにゃんです。
「廊下橋」
表門から上がって行くと廊下橋があります。
廊下橋は、鐘の丸から天秤櫓(てんびんやぐら)の門へかけての橋で、幅員3.4m(二間)、長さ15m(八間)です。
元は、この橋に覆い屋根がついて、腰壁をつけていたので廊下橋と呼ばれています。
城の防備のために城兵の移動を相手方に知られないようにするために、屋根などを設けたものといわれており、非常時にはこの橋を落下させ、敵の侵入を防ぐ事ができるようになっていました。
・天秤櫓の手前、大堀切の紅葉です。
「天秤櫓(国の重要文化財)」
天秤櫓は廊下橋を中央にして左右対称になっており、ちょうど天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。
この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したといわれており、城門は、正面約4.3mで、全部、樟材(くすのき)を用いて建築されています。
このような形式は、日本の城郭では彦根城ただ一つといわれています。
「時報鐘」
彦根城に登城する途中に時報鐘があります。
この鐘は江戸時代から絶えることなく、毎日3時間おきに6時、9時、12時、15時および18時の1日に5回撞かれます。
城下に鳴り響く鐘の音は、「お山の鐘」として市民に親しまれており、環境庁の「日本の音風景百選」にも選定されています。
「太鼓門及び続櫓(国の重要文化財)」
本丸への最後の関門である太鼓門櫓は、東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしています。
登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれています。
太鼓門櫓を過ぎると、正面に天守が現れます。
「彦根城(国宝)」
国宝彦根城は関ヶ原合戦の前哨戦で耐え抜いた大津城から移築したと言われ、慶長12年(1607年)ころに完成しました。
政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れているということです。
また、丸みを帯びた唐破風や切妻破風を駆使した変化のある屋根は他の現存天守にはない美しさがあります。
即ち、正面1層目の両端には切妻破風が、2層目の中央入母屋破風の上には唐破風(曲線の屋根)が、そして2層目と3層目の中央には大きな入母屋破風が設けられており、これらが組み合わさって類い希な美しさを見せているのです。
・本丸御殿側からの天守です。