らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

紀州街道を歩く(その2)

2014-11-19 | 地元紹介

昨日に続き、紀州街道をご紹介します。

「田中家住宅」
田中家は、清和源氏の系統で、新田氏と同族関係にあると伝えられ、室町末期の元亀年間(1570~73年)に田中遠江守重景が助松村に移住したのが初めとされています。
江戸時代には大庄屋を勤め、徳川頼宣公が紀州に封じられてからは、紀州徳川家御用の御小休所として本陣を承っていたことから助松本陣とも呼ばれ、参勤交代の際に使用されてきたそうです。
屋敷は何度か改造されているそうですが、全体的に江戸時代前期の規模や形式をよく残しており、1町(約110m)四方の大きさは江戸時代の豪農であったことが窺われると言うことです。

・この田中家住宅は一般公開をしていません。


「現在の紀州街道」
嘗ては、難波と紀州を繋ぐ幹線道路で、徳川御三家の一つ、紀州徳川家の御殿様である徳川頼宣公が参勤交代の時に通ったであろう紀州街道も、現在はこのような住宅地の中の生活道路となっています。


「南溟寺(なんめいじ)」
南溟寺の創建は文献によれば、天正年中(1573年~1592年)法橋明寂によると伝えられていますが、所蔵文書「元文四年寺社御改帳」では、文禄四年(1595年)僧明寂の開基とされています。
浄土真宗本願寺派のこのお寺は、戦国時代の豪族斉藤氏や真鍋氏が居城とした大津城(真鍋城)の跡と伝えられ、正保2年(1645年)から幕末まで伯太藩主渡辺氏の菩提寺だったそうです。



「忠岡神社」
大阪府泉北郡忠岡町にある神社です。
創立年代は不祥ですが、神社建築様式や元禄十四年の寺社改帳などによると相当の古社と推定されているそうです。
元は菅原神社と称し、泉北郡忠岡村の氏神として菅原道真公を祀っていましたが、明治政府の神社合祀制度に伴い、八坂神社、厳島神社、春日神社の三社を合祀し、更に同年11月には泉北郡馬瀬村内の天一神社を合祀して、明治43年4月26日、忠岡神社に改称され現在に至っています。



「弥栄(やえい)神社」
岸和田市の北端、春木に鎮座しているこの神社の創立年代は不詳ですが、往時、春木の海辺に土着した掃守氏(かにもりうじ)の祖神である「振魂命」(ふりたまのみこと)を鎮祭したのが始まりであると伝えられています。
しかしその後、数度の乱戦争により一度は廃社となりましたが、各地より移住した人々が再び小社を興し、氏神を「牛神神社」(うしがみじんじゃ)と号して崇敬してきました。
天正8年(西暦1580年)に素戔鳴尊を鎮祭してからは徐々に神域を整え、弥栄神社と呼称するに至ったそうです。

2011年度下半期に放送されたNHK連続テレビ小説「カーネーション」の岸和田ロケでは、この弥栄神社でも収録がなされ、春木大国町のだんじりが重要な役割を果たしたそうです。


歴史の町堺市にはよく知られた史跡がたくさん残っていますが、今回歩いた紀州街道沿いには、地元の人たちに信仰されている寺院や神社が僅かに残っている程度でした。