ジャスミン革命と日本の報道

 チュニジアのジャスミン革命についての日本での報道のされ方、語られ方について思うことをひとつ述べます。


 虐げられた人民が立ちあがって勝利を勝ち得た、式の分かりやすくて気持ちのいいだけの報道も問題だと思いますが、すぐにイスラム原理主義伸長の危険のことばかり言ってまたそういう認識の仕方こそが世界の実勢を良く分かっているということだ、という態度を見せるのもどうかと思います。

 チュニジアの人々が独裁制でもなく、また原理主義政権でもない、穏健でまっとうな成長をとげる道をどうやって模索していくか、そこのところを見てあげられないのですか?
 それが見ていられれば、日本の人がそこにまっとうな支援を行うという発想だって出てくるはずです。


 昨年カンボジアと関わりをもって感じたことですが、カンボジアにはアンコールワットという具体的な、目に見える文化産物があって、それは非常に興味深く、人によってはこれとの関わりに一生を捧げて悔いがない、というほどのものなわけです。
 文化にしっかり取り組めば、当然人との繋がりもできてきます。

 アルジェリアには、そこまでの形に見える文化産物がない。これが弱いです。チュニジアにはカルタゴとかローマ文化とかはありますが、アンコールワットほどの巨大なプレゼンスはありません。
 文化的つながりがないと、ビジネスだけということになってしまう。お金の切れ目が縁の切れ目、程度の付き合いでしかなくなってしまう。

 だから少なくとも多くの方々にかの地の音楽を聞いて、興味をもっていただきたいです。そこから人と人との繋がりをしっかり作っていこうではありませんか。

 チュニジアに関しても、これまで抑えつけられていてインターネットですら聞くことのできなかった反体制派ラッパーの音がYoutubeで聞けるようになっています。これをご覧ください。ただこれはラップですから言語の壁があります。メッセージ内容がこのままでは日本に伝わらないです。残念です。

とにかくチュニジアはこれからです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

スタンダールと中国

 ジャン=イヴ(彼のことはこのブログに何度も出てきてますから検索してください。私の友人で、フランスのスタンダールサイト運営者です)と私とでスタンダール研究情報メールマガジンCourrier Stendhalというのをやってます。まあ一年に3回くらいの発行だし大部分はジャン=イヴが情報を集めて書いているので、わたしの担当は日本関係情報と誤字脱字の修正くらいなんですが。

 きのう37号が出ました。その校正中に、パリ市歴史図書館la Bibliotheque historique de la Ville de Paris で、きたる4月6日にQian Kongというパリ第四(ソルボンヌ)博士課程在学中の中国の学生さんの« Stendhal au pays du sourire : sa réception en Chine »(微笑みの国のスタンダール:中国におけるその受容)という発表があるのを知りました。

 彼女の発表レジュメにはこう書いてあります:

Tres connue et appreciee au Japon, dans quelle mesure l'oeuvre de Stendhal est-elle introduite en Chine et quelle audience a-t-elle aupres du public ?
C'est a cette question que Mlle Qian Kong, jeune etudiante qui
prepare une these de doctorat sur ce sujet, se propose d'apporter une reponse.
「日本でよく知られ愛読されているスタンダールの作品だが、中国にはどれほど紹介されているだろうか? 公衆の中でどのような読者を獲得しているだろうか?
このテーマについて博士論文を準備中の若き学生Qian Kong嬢がひとつの答えを提案する」

 中国関係の話なのですが、ちゃんと日本におけるスタンダール受容について言及してありますね。

 日本では誰もあんまり気がついてないみたいですが、日本のフランス文学研究界の存在というのは「日本はあなた方と、商売上の関係だけではなくて、他の国が真似できないほど息の長い文化的な人的交流をもってきました。あなた方と長くお付き合いしたいのです」という意思表示になっていたわけです。
 これは、目に見えない日本の強みだったと思います。

 中国の人たちも、このへんに中国の弱点があるとそろそろ気づき始めた、かもしれませんね。先にも述べましたが、フランスに留学した中国人学生は博士号を取って故国に帰ってしまったらそのあとフランスの先生たちとは没交渉になってしまうというのですから。
 中国もこれから本腰を入れて、フランスと「息の長い文化的な人的交流」を重ねて行くことになるのでしょうか。 
 そうなると、また一つ日本は周辺諸国との差異化のネタを失うわけですが、さて?

 この発表、わたしは日本にいるので聞くことができません。どうか、どなたか聞きに行っていただけませんか? 4月6日18時30分にパリ歴史図書館の入口に来られれて、そのあたりにいる人たちに聴講したいむね申し出れば無料で入れてくれます。フランスのスタンダリアンたちの定例の研究会です。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

条件法


 既に「ジャスミン革命」Revolution du jasminという美しい名前がつけられたチュニジアの動乱ですが、もっぱらLe MondeとかEl Watanとかのフランス語メディアで見てます。報道文は条件法(つまり「~らしい」とか「~の模様」とか、不確実、推測を表す動詞の法です)のオンパレードですが。

 民衆に発砲するよう命令された軍がこれを拒否、大統領打倒の前面に立ったらしい。
 ベンアリ大統領がどうやって国外脱出に成功したか定かでないが、おそらくリビア(つまりカダフィ大佐)が手を貸したらしい。
 とにかくフランスはベンアリ大統領の受け入れを拒否、いったんフランスに飛行機でついた親族もドーハに送りだされてしまったとのこと。
 憲法上は60日後に大統領選挙をしないといけないが、これでは短すぎるというのが大方の意見で、国際監視団を入れて半年後くらいに実施、というのが常識的かとみられている。・・・

 現在新体制樹立のための努力がなされていますが、話し合いから共産党le Parti communiste des ouvriers de Tunisieと原理主義政党l'Ennahdhaははずされています。
 現在の動きを楽観的、好意的に見過ぎるのもなんですが、逆にイスラム原理主義の伸長の脅威と同一視してしまうというのも、少なくとも現時点では時期尚早かと思います。
 ベンアリ大統領は言論の自由を抑圧していましたが、とくに原理主義は厳しく抑え込んでました。今回の蜂起に直接原理主義勢力が積極的役割を演じたということはないと思います。彼らが状況を利用しようとするのは、これからでしょう。
 しかしこの種の暴動のあと原理主義政党に自由な活動を許すとどういうことになるか、1988年以降のアルジェリアのこと、アルジェリア人が原理主義の暴力にどれだけ苦しんだかをみなよく憶えてますから、なんとしてもそれは避けたいと大多数の人は考えるはずです。

 チュニジアがこのあたりをうまくクリアしてくれるなら、そして今の国の成長にふさわしい政体を樹立することに成功するなら、ジャスミン革命は世界史上の画期的事件としてその名をとどめるでしょう。

 センター試験にも頻繁に出題されるようになるでしょうね。いや、出題されるようにならないといけません。




 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ワールドミュージックを聞いてセンター試験の点をアップしよう!

 きのう終わった今年のセンター試験「地理B」第四問は全体的にアフリカについての設問で、第6問は音楽についての問題でした。わお。

 正解は「南アフリカ、エチオピア、ガーナ」だから5番でしょうか。

 でも<カ>には「人種差別撤廃運動が高まった1960年代から」、<チ>には「植民地支配を受けずに栄えた王国」があるから南アフリカ、エチオピアは、音楽のことは知らなくても分かってしまいますね。ならば残り、「近隣にはフランスの植民地支配を受けた国々も多いが」というのが西アフリカにあるガーナであることは一目瞭然です。

 でもまあ、ワールドミュージックがセンター試験で扱われてもよい知識、日本人が知っているべき「教養」のはしくれと認められた、ということではあると思います。
 
 また地理などというのは年によって出題される地域を変えてまんべんなくするものでしょうが、日本国民にもっとアフリカに興味をもたせるために、という国策もちょっとは入ってるかなあ、という地理の出題でした。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

 チュニジアでは軍と前大統領護衛隊が銃撃戦を展開したという報道がありました。
 ベンアリ政権が倒れたのは、大統領が軍の支持を失ったことが決定的だったのでしょう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

動くときは動くものです

 状況というのは、動くときにはあっという間に動くものです。
 23年政権を維持し、盤石の構えに見えたチュニジアのベンアリ大統領が、あっけなく亡命してしまいました。ちょっと信じられないです。大統領が向かったのはサウジアラビアだということです。

 状況が動いているうちにチュニジア人たちがどこまでのことを達成するか、注目したいものです。暫定大統領となったMohammed Ghannouchiはベンアリに忠実な人物とされていますから、チュニジア人が血を流してえた勝利が適当にごまかされてしまう危険は大です。

 写真(↑)はわたしがチュニジアを訪れた時に買った新聞 La Presse de Tunisie (1999年9月24日号)第一面です。左側の写真はベンアリ大統領が農業経営者を集めた集会についての報道で「ベンアリ:チュニジアの成功は農業部門の競争力獲得にかかる」という見出し。右側の写真は大統領が模型を見ているところで「チュニス湖:大統領、北東地域の整備にゴーサイン」とあります。

 言っては悪いですが、おもしろくないです。わたしのような人間が読んでも得るところはないものです。

 アルジェリアは1988年に多くの血を流しましたが、少なくともそれによって独立メディアを誕生させることができ、読んで面白い、意味のある報道がアルジェリア発信で得られるようになりました。わたしがときどき引用する El Watan紙もその代表的なもののひとつです(ライについてもよく報道してくれますしね)。
 アルジェリア人は、あと一息 encore un effortです。

 今回のチュニジア、アルジェリアの暴動は他のアラブ、アフリカ諸国に飛び火する気配も見せているようです。(それにしてもモロッコは、動かないだろうか・・・)

 ヨーロッパ史でいうとフランスが引き金になって各地で革命が起こった1830年や1848年の情勢を想起させるところがあると思います。
 でも現在の世界史の前線は、まちがいなくこのあたりにあるのです。

 いまアラブ、アフリカ諸国に注目して勉強しなくて、どうしますか。

[追記] ガヌーシ首相には正式な職務移譲がなされていなかったということで暫定大統領はFoued Mebazaaになっています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

チュニジアの暴動


 (いちおうこのブログには「チュニジア」というカテゴリーがあるのです。でもまだエントリーがひとつしかありませんでした。オリンピックでチュニジア選手が金メダル取ったときご祝儀でたてたカテゴリーだったので)

 チュニジアでも暴動が起こってます。こちらはアルジェリアよりもっと弾圧がきつく、既にすくなくとも35人が死亡、とアルジェリアの新聞El Watanは伝えています。

 世界経済が冷えこんで「先進国」も困っていますが、その影響をチュニジアのような国では、若者が命で支払うことになります。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

兼六園になに人が来ているか


 おとといは石川県民が兼六園にタダで入れる日でした。

 さて1月7日付北國新聞に、2010年に欧州主要6カ国から兼六園を訪れた外国人観光客が過去最多の14366人となったことを伝えていました。

 内訳はフランス4675人(前年度比15.3%増)、スペイン4168人(14.8%増)、イギリス1961人(17.5%増)、ドイツ1834人(18.2%増)、イタリア3168人(18%増)、となってます。

 外国人全体では134009人ということで当然台湾、韓国、中国といったところが圧倒的に多いのですが、欧州の観光客は景気の動向に左右されにくいという解説がなされていました。

 それでも欧州からはフランスとスペインが群を抜いて多いのが注目されますね。それと経済好調のはずのドイツがずいぶん少ないのも。ドイツ人は、日本人が思うほど日本文化に興味がないのかもしれません・・・ まあ数千人レベルの話ですから、ちょっとした状況の変化によってすぐ変動すると思いますが。

追記:(このエントリーを参照してください)。スペイン語版も追加しないといけませんね。イタリア語がその次かな・・・
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

わたしの美的感覚


 今日の金沢は大雪です。ことしはよく降るなあ・・・

 でもおとといはよく晴れてました。
 雪の降ったあとの晴れというのは、わたし個人の美的感覚には合ってます。
 足元がぐちゃぐちゃすることも多いですが、おとといは地面の雪も木々の雪も、ほとんど溶けて乾いてました。石川門の屋根に残った雪が、青空を背景に陽光にきらきら輝くのって、ほんとうに美しい。

 金沢の風土からすると、どんよりしたくもり空にかそけく浮かび上がる城門の姿、というのが一番似合うという気はするのですが。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

アルジェリア型暴動

 
 アルジェリアの2011年は暴動で始まっちゃいました。

 先週アルジェリア各地で勃発した暴動は、今は小康状態ですが、若者主体の暴動としては88年10月の、ハレドのEl Harba Ouine『逃げろ、でもどこへ?』が若者たちのテーマソングになっていたというあの暴動以来の大規模なもの、ということです。現時点では死者は2人ということのようです。

 しかし・・・ 今度のは特に直接のきっかけがよく見えない気がします。動機としては「食料品価格の高騰」くらいしかないみたいなのですが、肝心の暴動の当事者たちがそういうスローガンを発していないのです。

 失業、生活苦などなどアルジェリアの若者はいろいろな困難の中で生きているのですが、それにしても彼らが暴動という行為に走るにはなにかきっかけがあってもいいと思うのですが・・・。

 ただこれもアルジェリア型暴動の伝統ということかもしれません。
 フランス語が読める方はEl Watanの報道を読んでみてください。こういうスローガンが表に現れない暴動というのは、アルジェリアの歴史上重要な役割を演じた多くの民主化を目指す非合法組織のやり方の伝統を継ぐものだということです。また暴動に参加している人達には、他に不満を表現する手段がないのだ、ということも。若者のひとりは、警察の態度に反発を覚えた、ということも言っています(アルジェリア人がよく「ホグラ」と呼ぶ、体制側の侮蔑的態度、でしょうね)。

 今のところ事態を静観している中産階級、および政治家たちは今回の暴動をアルジェリアの民主化へのきっかけにするためにすべきことを知っているはず、と記事の筆者 Mustapha Benfodilは結んでいます。


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »