日本、日本の教育、日本のフランス語教育


11 お話の内容自体はまあご想像がつくと思います――つかないかな? DVD等資料が届いていないので、できるだけ聴衆とインタラクティブに、というやり方にしたのもよかったかもしれません。あ、この話みんなあまり分かってくれてないな、と感づいたらどんどんそっちの話の方に入れますし。

 全体の歴史としては、まずは19世紀中ごろ、アルジェリア独立運動の先駆者エミールEmir・アブデルカデルと肝胆相照らす仲だったレオン・ロッシュが初代フランス公使として江戸に赴任、彼の方針でフランスは瓦解寸前の幕府に加担してその後の展開から外交的に遅れをとったこと(このあたりで天皇家と徳川将軍家を混同している子がいるのが分かって説明。こういうことまで要るから時間が必要で、結局タコ踊りが必要なくなるわけですね)。ちょうどドイツが勃興する時期にあたり、帝国日本は主にドイツを模範として国づくりをして、もちろん教育もそれを反映していたこと。エリートたちは英米独に留学していき、フランスに留学する人はもっぱら文化関係者だったこと。

 本州島で首都東京の裏側にある金沢の金沢大学の沿革をさかのぼれば、一番最初は「加賀藩彦三種痘所」という文久2年(1862)にできた機関がルーツだと『金沢大学概要』に書いてあります(このパンフレット今回はじめてよく眺めてみて、別系統で「英仏学校」というのが明治6年(1873)にできていて、「石川県師範学校」等への改称を経て現在の金沢大学につながっているのに気がつきました。これは名前から見ると英語とフランス語を教える学校だったんでしょうか。翌年には「英学校」になっちゃってますから実質ほとんどフランス語との接触はこのころの加賀にはなかったでしょうね・・・)。

 ところで、あとでこの「種痘」というのは何かと聞いてきた子がいました。La vaccination, le vaccinだといっても、なんのワクチンかといわれると、ええと「天然痘」ってなんていったっけ? La variole、でしたね。アルジェリアではこんな病気の名前は耳遠いみたいでした。

 ここで話かわりますけど・・・
 わたしあえて言いますが、アルジェリアはもう少し自国の医療体制を整えた方がいいんじゃないですかね。いまでも重い病気はみなフランスに治療しに行っちゃいます(行けてしまいます。フランスは黙って受け入れますから)。だから、教育程度は高いのに自国の医療界に人がいつかず、設備も整っていない感じがします。
 自前で天然痘ワクチン作ろうとした昔の日本の人は、先進国だったら簡単に直せるような病気でも日本に治療体制がなければ、あきらめて死んでいったと思うのです。
 このへんに世界史のキーポイントがあるかも、という気がしてます。


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