もうひとつネジュマについて


16 前のエントリーにmidiさんが敏感に反応してくださったことからも、日本の知的な人々の関心のかなりの部分が『ネジュマ』に代表されるような著作群、これまで日本で「教養」と呼ばれてきたものからはみ出るような著作群、問題意識に向かっていることが分かるように思います。

 わたしとしては、『ネジュマ』みたいな本を読んで理解することが、21世紀型の教養を形成する、と思うのです。分かる人にはこのあたりに、絶対理解しておくべき何かがある、と分かっていると思うのですよ。

 そういえば筑波大の講義でカテブに話が及んだとき、自分は『ネジュマ』読みかけて挫折しました、とある学部生の子が言うので、東大の鵜戸(うど)という人がResonancesという学術誌の5号(↑)に論文を書いているから、これ読んでもう一遍アタックしてごらん、と言って持ってたコピーを渡しておきました。
 彼、うれしそうでした。
 わたしもうれしかった。日本の若者は、ぜんぜん捨てたもんじゃないです。




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ネジュマ


15 一通り話を終えると、学生さんからはいろんな質問が出ました。

 なかに「あなたは『ネジュマ』を読んだことがありますか」というのがありました。

 残念ながら通して読んだことはない、と答えざるをえませんでした。でもこんなこと聞かれるのは、このカテブ・ヤシーヌの作品がアルジェリアの国民文学と言っていい傑作だからでしょうね。

 ただ、言い訳するわけじゃありませんが、非常に難解です。
 内容は当然ながらアルジェリアの歴史と密接に絡まったものですが、出来事が起こった順に並んでないですからアルジェリア史をよく知らない人はもうそれだけでギブアップです。こういうの、現代文学的手法ではありますが、アルジェリアの「歴史」Histoire(フランス語では歴史historyとお話storyとが同じ単語histoireになるところが面白いですね。ひとつの思想がそこにあると思います)は未だできていない、これから作られるのだという思いの表明でもあると思います。この作品が発表されたのは独立戦争のさなか、1956年です。
 
 このあたり、日本やあるいはフランスのようなかなり単線的な「歴史」を持ち得た「国」の人のもつ感覚では、なかなか計り知れない感覚の存在が指し示されていると思います。

 卑弥呼も豊臣秀吉も、紫式部も夏目漱石もみんな「日本人である」というところでなんとなく「自分と同じ」という感覚が、なんの疑問もなく前提として存在しているような日本の読者のあり方を、アルジェリアの読者はもっていないのです。

 アラブ人系、白人系、黒人系(『ネジュマ』にはちゃんと黒人も出てきますね)、全てが糾合してひとつの「アルジェリア人」を構成する。この民族のるつぼの唯一の定数は、カテブによれば、おそらく「抵抗」である、ということなのでしょう。
 カミュが、人種差別などとは無関係な位置から、アルジェリアが国として立つことが可能か危うんだのも理由のないことではないのです。

 4人の若きアルジェリア人に愛される、新生アルジェリアの象徴ネジュマは混血の女性であり、古代カルタゴの巫女サランボーにもたとえられます。
 フロベールも、ジョイスも、フォークナーも、みんなそこにある感じです。

 だから、アルジェリア人の知的な領域にわけいろうとするなら、どうしても西洋文学、西洋の知を経由しないといけないわけなのです。
 
 ここのところを分かっていただけたら、ヨーロッパの文物の勉強に関して、新しい意味づけが日本でもできるようになると思います。
 ぜひそのようにしたいと思います。

 それにしてもこれを書いたのがアマジーグ・カテブのお父さんだっていうんですからなんとも世の中というのは面白いものです・・・

(カテブ・ヤシーヌって誰? アマジーグ・カテブって誰だ?という方は、ついでにこのエントリーや、このエントリーの続きなどをご参照ください)

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