今日、駅のトイレに入ろうとしたとき、例の黄色い看板が見えました。

 隣を歩いていた人たちが、「あ、清掃中ですがご利用になれます系かな?」と言っているのが聞こえました(聞き違いでなければ)。

 そうですね。これ、清掃中だから利用できない、というのと場合が二つありますね。

 しかしこういうときに「系」って言葉を使うとは。この言葉ほんとによく使われるようになりました。たぶんそのうちすたれるでしょうけど。

 このフレーズ、意味内容だけならフランス語に移せるでしょうが、そこに含まれている「気持ち」を過不足なく移す、というのはできそうもない気がします・・・
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コミュニケーション力

 ふう。
 週末で一息ついてます。でも今週は大変です。(あ、土曜日の新音楽夜噺はなんとか準備できてますから、当日は気合いれてがんばりますので乞ご期待です。できましたらLi-Poさんに予約などを入れておいていただけると幸いです)

 注文していた『あずまんが大王』のフランス語版が届きました(もっとも第四巻が品切れで欠けてますが)。

 四コマ漫画の翻訳というのは、かなり骨の折れるものだという感じがします。笑いが成立するためにテキスト外の文化的コンテクストに頼っているところが大きい、というのが理由としてあげられるでしょうか。
 また、これでフランス人、笑えるのかしら? 笑えるとしても、日本語を読んで笑っているひとと「同じ笑い」を笑っているかしら・・・と考えると、たいへん趣き深いものがありますね。

 ところで今わたしは、同じマンガの日仏バージョンを並べて教える、というやり方をやってるのですが、このやり方の最大の利点のひとつは「日本語の構文をそのまま移し変えなければならない、という意識を捨てさせられる」ということだと思います。

 わたしの同僚の阪上さんの関心が最近「受身表現」に向いてまして、日本の学生は「~られる」という受身形を見ると自動的にetre (be動詞です) + 過去分詞という形にしたがるが、こういうオートマチスムは解消しないといけない、というようなことを言っておられます(と思います)。構文を自動的に移し変えてしまうと、往々にして不自然なフランス語になってしまうのです。

 こういう状況下でこういうことが言いたいとき、フランス人の口に自然に出てくるのは、(たとえば)どういうフレーズか、というのが日本マンガの仏訳だとはっきりわかる気がします。

 体育祭で、自分のせいでクラスが負けてしまうのではないかと泣き出してしまったチヨちゃんの頭にポンと手を置いて、「・・・大丈夫・・・まかせろ・・・」とだけつぶやいて競技場に向かっていく榊。
 それを見ていたカオリン(この人は榊に惚れてます)が「くぁー!! かっこいーっ!!」と叫ぶわけですが、この心の底からの叫びを外国語で過不足なく、自然に、的確に表現できることーーこのあたりにわたしは、大げさかもしれませんがコミュニケーション力の原点があるように思うのです。

 ・・・ただ、こんなことが次に気になりますね。
 ここはフランス語(Eve Chauvire' 訳、Tsukasa K.協力とクレジットされてます)では Ouah ! Elle est trop geniaaal !! となっているのですが、「くぁー!! かっこいーっ!!」とOuah ! Elle est trop geniaaal !! が完全に同じ「こと」、同じ「思い」を表現しているかというと、先にも述べたとおり、なかなかそうと断定できないでしょう。
 そこにあるある種の「気持ちの偏差」のようなものが授業で伝えられればいいのですが、これ、なかなか難しいですね。

 
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