退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「男性の貧困あるいは他者を常に身近に置くことの大切さ」について

2017-12-05 02:05:17 | Weblog
『くもり。夜にやや冷える。

渋谷智子編著「女って大変。」を読む。

内容を読めばなるほどおっしゃる通りと言うよりない。
みなさんそれぞぞれに「ヘヴィーな環境」を生き抜いて。

おそらく問題はふたつ。

男性が稼いで女性が家事をするという「昭和幻想」とそれを受け継ぐ者たち。
いったん仕事をするとそれ以外のことが何もできなくなる男性の「環境」。

政府は「人づくり革命」などと意味不明なことをのたまっているけれど
この二点をどうにかすることがおそらくは最優先。

前者についてはやがて「経済的な現実」がそれを打ち砕くだろう。
もちろんオヤジもしくは彼らを支えるオバサンたちの「寿命」も手伝って。

後者については「人口減少」が「無駄な長時間労働による非生産性」を許さなくなるはず。
それが実現しなければ「沈没」が早まるだけ。

「賃金を支払われるかどうか」は別にして
実は女性の「労働効率」が男性に比べれば文句なしに高いこと。

その「事実」をそろそろ認めないとどうにも。

「仕事しかできない男性労働者の再生産」を支えているのは女性。
仕事の後に家事をする大変さを思えば。

育児や介護に関しても同様。
問答無用に女性に負担させるのがおかしいだけ。

「赤ん坊の夜泣き」に対応する男性の数は少ないだろう。
PTA及び子どもの学校関係の対処についても同様。

こうした「いびつな役割分担」がわが国の「現実」であることをあらためて。
「ひとつのことしか出来ない男性の『貧しさ』」を忘れずに。

繰り返すが「男性の覚醒」を一刻も早く。
自らの「能力不足」についての自覚がないとどうにも。

もっともかく言う自分も「同じ穴のムジナ」。
せめて「認識」だけでもという「どうしようもなさ」。

元々「生活のない人」ですまん。』と書いてまた寝る。

晴れ。夜風は今季一番の冷たさ。

編著・小出由紀子「ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる」を見て読む。

アウトサイダー・アートの代表的な作家の作品を初めて。
名前だけは知っていたのだけれどなるほどこういうものだったか。

敢えてその「解釈」には触れず。
「途方もないエネルギーと素敵なデザインあるいは色使い」をしばし堪能する。

それぞれの作品については検索をよろしく。
「描写の技術を超えた魅力」を是非。

人は「現実のみに生きる者」にはあらず。
もっとも「認識される『現実』」がすべてではないという「当然」も。

「特定の分野への圧倒的な集中力」が生み出すものを思えば
「平均的な能力」を測る「学校という存在」の「不自然さ」がわかるはず。

たとえばダーガーのように人とのコミュニケーション能力があまりない人々たちが
「好きなこと」に邁進できる「環境」の必要性をあらためて思った次第。

むしろそれらは「平均的な人々」に自らが生み出せない「豊かさ」をもたらすのだから。
そうした「事実」については敏感でありたいもの。

中世においては「狂人=聖者」であったことを思い出してもいいかも。
あるいはアインシュタインが学校時代は「劣等生」であったことなど。

別に「天才」でなくっていい。
「世界」が「別な顔」を見せる「多様性」を確保したいだけ。

その意味でわれわれにとって必要なのは常に「他者」。
多寡の知れた「脳内ひきこもり」をしている場合ではないだろう。

目の前にいるはずの他者と「お付き合いすること」。
その種のコミュニケーションを積極的に。
コメント
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