退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「バランスの妙」について

2012-09-27 02:48:16 | Weblog
晴れ。日差しは強いが風は涼し。

佐々木敦「未知との遭遇 無限のセカイと有限のワタシ」を読む。

面白そうなあれこれを教えてくれてありがたい内容。
共感できる部分も少なくない。

大雑把にまとめてしまえば
キリスト教の「予定説」を受け入れた上でだからこそ「自由に生きろ」ということ。

ちなみに「予定説」とは「すべて神の思し召し」。
敢えて「運命」に逆らう動きをしてもそれも含めて「予定通り」になる。

たとえるなら映画「ファイナル・デスティネーション」。
そこでは「予定された死」が必ず訪れることになっていた。

いたずらに「小さい自分」にこだわるよりその方がマシなことは確かだろう。
とはいえ今となってはそれは結構「高度な心構え」なので「実現」は難しいかも。

もっとも「まともな好奇心」さえあればいつの世であれ「楽しく暮らせる」のも「事実」。
結局は「中庸=そこそこ」が大事なことも相変わらず。

ひとつだけ難を言うなら「シンプルなこと」を言うのに「手間」をかけすぎているところか。
もちろんそれが「楽しませるためのもの」であることは重々承知の上で。

好ましい著者だけについつい文句を言いたくなってしまうのだということでよろしく。
個人的には「ややこしいこと」は著者に「おまかせ」したいくらいの気持ちはある。

さて。

覚えておくといい「原理」のひとつは「強力な一方」は必ず「強力な他方」を生むということ。
物理における「作用・反作用の法則」は人間界にも通用すると思ってよさそう。

そもそも何事かが「声高に」言われるのは「現実」が「イヤ」だから。
ただし「イヤ」だと言って「現実」がどうにかなるものでもない。

人は自分が思っている以上に「非合理的」なので
それゆえ「非情な合理」にあこがれるところもあったり。

そういった意味でむしろ
「思い通り」にならないからこそ面白いのだという「視点」は重要。

いとも簡単に解ける「パズル」など端から解く気にならないのが「基本」だろう。
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