退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「そういう気分」について

2012-06-01 02:52:38 | Weblog
晴れ。深夜に雷と雨少々。

東浩紀「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+」を読む。

P・K・ディックの作品が懐かしくその解説が面白い。
「背景あるいは骨格を読む」というのはこういうことか。

「マクドナルドのイスは長居できないように固く作られている」という例に代表される
「環境管理型権力」というものについての興味のあり方にも納得。

いわゆる「客観的」というものを追い続けると
どうやら視線がそのあたりに向かうものらしい。

内容的には「晶文社」が似合いそうなもの。
かつて「就職しないで生きるには」といった作品を読んだことを思い出す。

それ以降個人的にはあれこれあって
「適当に暮らせる環境」はどうにか整ったと言っていいのかもしれない。

ただしそれは著者のように「周到な戦略」に基づいたものではなく
ほとんど「偶然のなせる業」で。

もっともそれはあくまでこちらの勝手な感想にすぎず
著者もこちらと同様のことを思っているだけかもしれないけれど。

とりあえずそんなことはどうでもよくて
今後も「刺激」を与えてくれればありがたいのみ。

さて。

関西方面の自治体の首長たちが大飯原発の再稼働を認めた模様。
「束の間の現実」に引きずられるだけなら「理想」などいらない。

「生活が出来なくなる」という人々がいる「事実」はあるものの
それをグズグズと認めてきた結果が今回の「未曾有の事態」だったのではないのか。

すでに「従来の生活」をすべて失った人々もいる中で
たまたま「救われた生活」のみを優先するだけでいいのだろうか。

常に「現前性=今こうなんだから」が重要視されるなら「未来」など語るなと思わざるをえず。

「知恵」がある者はそれを使え。
「貨幣」がある者はそれを使え。

やがて確実に訪れる「悲惨さ」を前に
首は垂れるが稲穂は実らない。
コメント
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