退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「夢遊病とお経」について

2012-06-23 03:47:12 | Weblog
晴れ。やや風あり。

仕事前に入った喫茶店で「スルー」される。

どこまで放置されるのかと様子をうかがっているうち
結局は「使えないバイトちゃん」のせいだと判明。

気付いた後もアイスコーヒーのみを持ってきて
ガムシロップとフレッシュを忘れる始末。

声は案外出ているのだけれどその行動たるや典型的に「ダメな人」。
自分が水を持って行ったはずの別な客にも注文を聞くのを忘れていた。

彼女に限った話でなく
目を開けているのに「夢遊病」のようにふるまう人々がいささか目立つ。

具体的にどのような「環境」で育つとそうなるのか知りたいのだが
今のところ詳細は不明なまま。

男女を問わず子どもの頃から何らかの「仕事」をやらせた方がいいかも。
「即戦力」はそこから育てる必要がありそうなので。

井筒俊彦「神秘哲学―ギリシアの部」を読み始める。

「コーラン」を全訳した博学の若かりし頃の作品は
どこかニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を思わせる。

内容の「真偽」についてはさすがに何とも判断しかねるものの
「漢籍の素養」に満ち溢れた文章はある種の「お経」のようでついつい引き込まれる次第。

「無味乾燥な形而上学」の「裏側」をついつい読んでしまうあたりに
著者の「情熱」が相当に感じられることは確か。

いささか「神秘主義」に偏りすぎな印象もあるけれど
究極的には人が神秘主義であるよりない理由はいちおう理解しているつもり。

何かが乗り移ったような迫力の凄まじさは否定しようもなく。
あらためて「文語の力」を思い知らされたような。

なるほどこうした「お経」を書いた著者だからこそ
「コーラン」に惹かれることになったのかと今のところ勝手に納得しておく。
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