退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「バランス」について

2012-06-08 03:21:16 | Weblog
くもり。蒸し暑い。

仲正昌樹「<学問>の取扱説明書」を途中まで再読。

いささか「怒りっぽい」ところはあるにせよやっぱり「まとも」で刺激的。
明日もじっくり味わいたい。

以前にも書いた記憶があるけれど
「刺激に満ちた作品」を引き続き書いていただきたいところ。

できれば「どうでもいい輩」に反応せず
著作に専念してくれればというのが愛読者の勝手な願いではある。

さらに個人的には宮台真司あるいは東浩紀あたりと対談してもらうと
気軽に読める上に楽しそうに思えるのだが如何。

いつものことではあるものの
それがすでに実現済みだとしたら不勉強ですまん。

さて。

「東電OL殺人事件」のネパール人被告がようやく「自由の身」になった。
それにしても15年の間「外国」で刑務所暮らしをせざるを得なかった彼の無念さよ。

こうした「冤罪」を何としても避けるためにこそ
「推定無罪の原則」があることをあらためて確認しておきたい。

またずさんと言うよりない検察あるいは警察の捜査も忘れずに。
「DNA鑑定」の有無だけが問題なわけでもなく。

「違法滞在」をしていた被告の身柄はそもそも入国管理局があずかるべきものだったのに
検察が強引に刑務所に入れた「事実」をTVでノンフィクション作家佐野眞一が指摘していた。

わが国のネパールへのODAが「最大」であるがゆえに
敢えてネパール大使館も日本政府に対して抗議をしなかったことも。

そもそも「推定無罪」がなぜ生まれたのかという「歴史」を勉強し直すことを
検察の仕事をする人々の「義務」だとしておきたい。

「勝手に裁かれる痛み」を知った上で「裁く」こと。
その「前提」がなければいたずらな「権力の行使」が行われるのみ。

「日本国民」としては「煽られた恐怖」に噴き上がることのないようにしたいもの。
「正義」を気取るのはある種の「カタルシス」を生むかもしれないが圧倒的に「貧しい」。

もはや「汚れていない手」などないことは実は「戦後以来の常識」のはずなのに。
誰しも「叩けばホコリの出る身体」だというあたりを「出発点」にしたいものではある。
コメント
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