退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

敢えてする「余計なお世話」について

2012-06-26 03:15:19 | Weblog
くもりのち晴れ。朝には雨も降った模様。

「神秘哲学―ギリシアの部」を読み進める。

食い付けるところのみ辛うじて食い付いている感じ。
予想通りの結果ではあるのでとりあえず読み終わるまで。

若者たちにない「しぶとさ」は年月のなせる業。
そこから何かが「開ける」かもしれないことを知っているから。

そこで「老婆心」ならぬ「老爺心」などをちょいと。

かつてあった「権威」は地に堕ち「専門家」に対する信用も失われた現在
重要なのは何なのか。

それはおそらく「身銭を切って手に入れた『最後の砦』」があるかどうか。
誰が何と言おうと「これだけは確か」だというものだろう。

その一方で「自分が勝手に付け加えたもの」に対して
できるだけ冷静に判断を下すこと。

また「他人のダメさ」によって自分を評価せず
あくまでそれとは無関係な「自分の基準」を維持すること。

もちろんあれこれ「ゆれる」のは当然の事であり
「確信」が「疑い」にあるいは「疑い」が「確信」になることもある。

そこでいたずらに「白黒つける」ことをしないですむ「体力」を持つこと。
そのために必要な「経験を重ねる」ことなど。

「確固」と「柔軟」を共存させつつ生きられれば幸せか。
「一見の矛盾」はむしろ「一見の正確さ」を問い返すものでもあり。

「目標としての『正しさ』」があるのはむしろ重要。
「安易な『正しさ』」を疑うのを常識だとして。

「一所懸命」が結果的に「一生懸命」になったというあたりが好ましい。
その種の人々には「自信」に裏打ちされた「謙虚さ」があるから。

「本物」を知っていれば何事にも「終わり」がないことは言わずもがな。
その程度の「真実」については誰もが知っていることにしたい。
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