退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある気質」について

2012-03-08 03:20:15 | Weblog
くもり。夜風にわずかな冷たさ。

真壁昭夫「はじめての金融工学」を読む。

7年前の本で大雑把にまとめてしまえば
「統計学」と「数学」を使って「リスク」を減らすのが「金融工学」らしい。

さすがに「怠惰な元文系」なので微分方程式の理解はできない。
昔高校で習った「分散」や「標準偏差」は懐かしかった。

大学時代に一度だけ経済学部の友人にレポートを頼まれたことを思い出す。
「常に合理的行動をする」という「設定」に「ありえない」と書いた記憶があるけれど。

もちろん「単純なモデル」を敢えて作ることで「意外な事実」がわかることは承知の上。
とはいえあまりな「単純さ」にはついつい反発したくなるというもの。

数式上で「リスク」は消せても
「非合理的な人間の行動」は「計算」できないのではと思われるができるのか。

おそらく最近ではコンピュータによるシミュレーションによって
かなり「現実」に近い「設定」ができるのだろうとは思いつつ。

いずれにせよ「新しい成果」さえ生まれれば
どんな「単純化」も否定するものではないという「原則」は押さえておく。

その方面に詳しい友人がいないので詳細は不明。
ご縁があればあれこれ教えていただきたい。

自分でもいろいろと「単純化」はしているものの
「他人がする単純化」に厳しい理由を敢えて挙げておく。

ある種の人々は「原理原則」の理解を拒み
「その場限り」の「問題処理」ですまそうとする。

それが実は「将来の困難」を招き寄せることをいくら説いても「馬耳東風」。
「目の前のめんどくささ」と「束の間の解決」を必ず優先させるのだ。

仕方がないことではあるのだが
「墓穴を掘る」のを見るのはいかにもしのびなくついつい腹が立つ。

おそらくは「自分の欠点」を見せつけられているような気になっているのか。
ならば「適当」にしておけばよいのだと自分に言い聞かせても。

きっとそういう「性分」なのだというあたりで「着地」。
もっと「機能的に行動できる人間」でありたいという「あすなろ」が当分続く。
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