退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『現実』を見ないことに関するあれこれ」について

2018-08-20 02:51:12 | Weblog
晴れ。風は涼しい。

立花隆「小林・益川理論の証明」を読む。

この「ノーベル賞の価値の理解」について
「マスコミのレベルの低さ」を指摘する著者の姿はどこかで見たような。

確か作曲家・武満徹が亡くなった時に関しても
「何もわかっちゃいない」という感じだったはずで。

現在の「世界」の中でそれらの人物の仕事が「どういう意味を持つのか」。
そしてそれを成し遂げた日本人についての「国内評価の貧しさ」を再び。

今回はその「理論」を「証明すること」を「現実」にしたチームがいたこと。
その「素晴らしさ=現実」を伝えたかった模様。

さらにはかつて「科学朝日」という名前だった雑誌が
本作を連載中にも関わらず「廃刊」になったことに対する「抗議」もあり。

著者の指摘は「正しい」けれど。
それからすでに十年が過ぎた「現実」を思えばむしろ「隔世の感」が。

あらゆる分野での劣化は驚くほどに進み。
そうした「現実」に対処する策もないままに。

もちろん数々の場所で「世界レベルのもの」があることは承知の上。
それを「受け止める側」が圧倒的に愚かになったことだけが「事実」。

マル激を観る。

今回は「移民」を認めていないにもかかわらず
わが国が「世界第4位の移民大国」になっている現実について。

ゲストは「コンビニ外国人」の著者である芹澤健介。
それにしても「外国人がコワイ」というセンスが21世紀にもまだあるのか。

「人間」でなく「労働力」としてしか認めない「差別」よ。
「普通にお付き合い」さえすれば解けるはずの「無知」がのさばり。

もっとも日本人同士でさえ「他人」を怖れている現実を思い出せば。
「経済界」が自らの望む方策を実現することで「沈没する」のを笑えず。

「未知なもの」を「怖ろしい」としか捉えられない「思考の貧しさ」よ。
やはりここでも「現実を受け入れられない人々の増加」がネックに。

「イメージ」でなく「目の前の事実」を認識したいものではある。
「脳内ひきこもりの弊害」がますますといった趣き。

なぜこれほど「具体的に生きられないのか」。
「愚かであること」がかくも「害になること」を知っておきたいもの。

「圧倒的に豊かな世界」を「自分というバイアスで貧しくすること」を避けよう。
その「判断」が何ほどのものなのかという「反省」があまりになくなって久しいから。

何でもいいから「一緒にやること」。
この「単純な解決策」を行わせないものの「正体」を見極めないと。

「自分の判断に都合のいい情報」だけを採り入れるなかれ。
「立場」とは関係なく「現実を見る目」を確かなものにしよう。
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