退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「母親絡みのバタバタと理屈はわかるが行うことの難しさあるいは和歌をいじって現在にすること」について

2019-10-04 02:21:01 | Weblog
くもりときどき晴れ。夜になって間歇的にスコール。

最寄りの駅から歩いて帰る間にズボンが濡れる。

陸橋を歩いている間はほとんど台風の趣き。
その間だけ激しいのが玉にキズ。

帰宅して母親の左の掌を見ると照明のせいもあってか紫色。
当人も「痛くて薬が効かない」と言い。

慌てて昨日買ったコンビニのたらこスパを食べタクシーを呼んで救急外来へ行く。

偶然主治医がいたおかげで診察は早く済む。
強く巻かれたテープの一部をカッターとハサミで切って終了。

何ともバタバタする次第。
素人には腫れ具合の良し悪しがわからないので。

「来週手術するまでこのままで大丈夫でしょう」と言われて母親も安心。
帰りのタクシーを降りる時には都合よく雨が小降りになる。

最近の異常気象についてやたら運転手に話しかけていた彼女は
勢い余って「行いがいいのかしら」などと。

いやはや。

「老子 荘子 列子 孫子 呉子」の荘子を読み終わる。

孔子のいままで知らなかった姿にふむふむ。
「愛する」から「憎しみ」が生まれ「聖人」がいるから「悪人」も生まれ。

「権力の座」に誘われて恥じ入り死んでしまう人物もいて。
この「バランス感覚」は理解は出来るけれど実行はなかなかできません。

とりあえず明日も読み進めるのみ。

雨が収まった深夜に少しだけ雷鳴。
「地球温暖化」は着々と進行中のようで。

「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」というのは
百人一首にある藤原敏行朝臣の歌。

「秋来ぬ」を敢えて「あきこぬ」と読んで
「風」を「雨」に変えれば「現在の歌」になりそう。

いよいよ「季節感」は失われてしまいそう。
もっとも「歳時記」が書かれた時代からそうではあるのだけれど。

「季節の先取り」が「風雅」であった時代はよかった。
そこに何も「被害=実害」はないから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする