退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好きでもないのに口を出すこと」について

2013-05-30 03:27:43 | Weblog
雨。霧雨も降る。

時枝誠記「言語生活論」読了。

後半はいささか疲れを覚える。
折り目正しい文章の「功罪」ということにしておこう。

二宮清純「プロ野球の一流たち」を引き続き読む。

中学生の頃は「ベースボール・マガジン」とかを買って読んでいて
その後は山際淳司「江夏の21球」や海老沢泰久の作品などをあれこれと。

このところとんとご無沙汰していたので久方ぶりに。
「3割」を打てば一流の「世界」はあらためて考えると不思議と言うよりない。

「怪童」中西や「鉄腕」稲尾らの話が懐かしい。
前者の「内転筋」を鍛えろという具体的な教えに納得。

わが国のスポーツ情報はむしろ「ドラマ」と呼んだ方がマシなものが多く
各個人の類いまれな「運動能力」の凄さを実感させるものが少ない。

そもそも「スポーツ」そのものを愛しているのかが十二分に疑わしいもの。

本書では清原に関する「厳しい指摘」が目立つ。
おそらく著者は彼の事が好きなのだろう。

「ぼやき」ばかりが採り上げられる野村元楽天監督の話す内容は
野球そのものについては全く「正しい」。

「意識」が「身体」を狂わせることについて
これほど明確に知っている人も珍しく。

「休憩」が多く「同じ相手と対戦すること」も多いスポーツならば
「頭を使え」というのは至極当然のことでもあり。

新聞社が野球を「興行」として大いに利用していることや
「甲子園」という「美談」で「才能」をつぶしていることも今さらながら。

少なくとも日本サッカーが世界で強くなったのは「世界レベル」を知ったから。
この「当然」とそのための「努力」が野球界には圧倒的に欠けている。

もちろんそれは選手のせいではなく
「国内事情」にあくせくする「球団」および「スポーツに無関心な人々」のせい。

「野球を愛している人々」が「力」を持たない「現実」はいつまで続くのやら。
それがこと野球に限らないのはわが国の「通例」ではあるのだけれど。
コメント
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