退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「説明能力」について

2013-05-28 03:59:00 | Weblog
くもりときどき雨。傘を持って出かける。

国語学者時枝誠記の本を読み進めているところ。
論文ばかりなのでついつい時間がかかる。

日本語が辞と詞から成るという見立てと
ソシュールに対する反論はよくわかった。

今どきのものと違って論理構成はしっかりしているものの
残念ながらなぜそこが気になるのかについては歯が立たないところもあり。

とりあえず二冊借りてきているので
読み終えた上でさらに著者の本を読み進めるかどうか決めるつもり。

「読」「書」「話」「聞」の4つに分けて
「言語生活」を考えているのにはあらためてなるほど。

「いきの構造」の九鬼周造の分析方法との類似を思う。
明確な分類は時代を問わず近づきやすく好ましい。

さて。

若い知り合いに「どうぶつの森」というゲームについて聞いてみたところ
「全くの別物」だと思えるほど異なる説明をされる。

ふたりに共通していたのは「だなも」という語尾が特徴の商人がいること。
「昔の名古屋弁だよ」と言ったらどちらも知らなかった。

それにしても。

何も知らない相手にあるものについて説明させると
絶句したり「わかるでしょ式」だったりでどうにも歯痒い限り。

「肝心なところ」が的確に説明できないこと夥しい。
普段からその種の機会には恵まれていない模様。

個人的にはそうした「説明」ができることがコミュニケーションの基本だと思うのだが
今さらながらそれが「途方もない贅沢」だと知る。

巷では「英語教育」が叫ばれて久しいけれど
母国語が満足に使えず自国の文化や特徴も知らない者が英語を話してどうしようというのか。

まさに「バカバカしさの極み」ではあるとはいえ
そういう「現実」は相変わらず平気でまかり通っている。
コメント
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