晴れ。風が吹く。
岩田規久男「経済学的思考のすすめ」を読む。
いわゆる「リフレ派の重鎮」も今や日銀副総裁。
その結果がどうなるかは楽しみではある。
本書では「シロウト経済学」がやたらに受け入れられているわが国のいびつさを指摘し
辛坊治郎の著書を代表としてその矛盾を突く格好。
「演繹と帰納」という考え方の違いを説き
後者はひとつ例外が出れば崩れるものの前者はそうでないと言う。
何だか「近代」をやり直している感じで
「現代」においてそれでいいのかと思わないでもない。
とはいえ「経済」という分野においては
少なくとも「近代」どころか「前近代」が跳梁跋扈しているのも事実。
敢えて単純化した「モデル」による思考実験と検証から
「帰納」だけからは見えない「事実」が浮かび上がるらしい。
とりあえず「仮説と検証」という組み合わせで「複雑な現実」を捉えようとするのは
基本的に「正しい」というかそれよりないだろうと思われる「方法」。
ひとつだけ気になることがある。
さんざん「前近代」が幅を利かせていたという「現実」は
21世紀の日本がひょっとして「前近代」にいるのかもしれないということ。
「近代における合理性」に従ってわが国民が行動するのかどうかという疑問だ。
常に「悪貨は良貨を駆逐する」のであればいささか微妙ではないだろうか。
とはいえある種の「実験」が行われることそのものは好ましい。
「現前性」にのみ依存しているのではどこへも進めないから。
政治の世界では「シロウト」の民主党が「馬脚をあらわした」一方
経済の世界を「クロウト」がどう動かすのかが興味深いところ。
「理論の正しさ」と「受容する者のレベル」がどう火花を散らすのか。
とりあえず円安と株高は進んでいる。
岩田規久男「経済学的思考のすすめ」を読む。
いわゆる「リフレ派の重鎮」も今や日銀副総裁。
その結果がどうなるかは楽しみではある。
本書では「シロウト経済学」がやたらに受け入れられているわが国のいびつさを指摘し
辛坊治郎の著書を代表としてその矛盾を突く格好。
「演繹と帰納」という考え方の違いを説き
後者はひとつ例外が出れば崩れるものの前者はそうでないと言う。
何だか「近代」をやり直している感じで
「現代」においてそれでいいのかと思わないでもない。
とはいえ「経済」という分野においては
少なくとも「近代」どころか「前近代」が跳梁跋扈しているのも事実。
敢えて単純化した「モデル」による思考実験と検証から
「帰納」だけからは見えない「事実」が浮かび上がるらしい。
とりあえず「仮説と検証」という組み合わせで「複雑な現実」を捉えようとするのは
基本的に「正しい」というかそれよりないだろうと思われる「方法」。
ひとつだけ気になることがある。
さんざん「前近代」が幅を利かせていたという「現実」は
21世紀の日本がひょっとして「前近代」にいるのかもしれないということ。
「近代における合理性」に従ってわが国民が行動するのかどうかという疑問だ。
常に「悪貨は良貨を駆逐する」のであればいささか微妙ではないだろうか。
とはいえある種の「実験」が行われることそのものは好ましい。
「現前性」にのみ依存しているのではどこへも進めないから。
政治の世界では「シロウト」の民主党が「馬脚をあらわした」一方
経済の世界を「クロウト」がどう動かすのかが興味深いところ。
「理論の正しさ」と「受容する者のレベル」がどう火花を散らすのか。
とりあえず円安と株高は進んでいる。