退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「理論と受容」について

2013-05-08 03:25:29 | Weblog
晴れ。風が吹く。

岩田規久男「経済学的思考のすすめ」を読む。

いわゆる「リフレ派の重鎮」も今や日銀副総裁。
その結果がどうなるかは楽しみではある。

本書では「シロウト経済学」がやたらに受け入れられているわが国のいびつさを指摘し
辛坊治郎の著書を代表としてその矛盾を突く格好。

「演繹と帰納」という考え方の違いを説き
後者はひとつ例外が出れば崩れるものの前者はそうでないと言う。

何だか「近代」をやり直している感じで
「現代」においてそれでいいのかと思わないでもない。

とはいえ「経済」という分野においては
少なくとも「近代」どころか「前近代」が跳梁跋扈しているのも事実。

敢えて単純化した「モデル」による思考実験と検証から
「帰納」だけからは見えない「事実」が浮かび上がるらしい。

とりあえず「仮説と検証」という組み合わせで「複雑な現実」を捉えようとするのは
基本的に「正しい」というかそれよりないだろうと思われる「方法」。

ひとつだけ気になることがある。

さんざん「前近代」が幅を利かせていたという「現実」は
21世紀の日本がひょっとして「前近代」にいるのかもしれないということ。

「近代における合理性」に従ってわが国民が行動するのかどうかという疑問だ。
常に「悪貨は良貨を駆逐する」のであればいささか微妙ではないだろうか。

とはいえある種の「実験」が行われることそのものは好ましい。
「現前性」にのみ依存しているのではどこへも進めないから。

政治の世界では「シロウト」の民主党が「馬脚をあらわした」一方
経済の世界を「クロウト」がどう動かすのかが興味深いところ。

「理論の正しさ」と「受容する者のレベル」がどう火花を散らすのか。
とりあえず円安と株高は進んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする