退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好きにするということ」について

2013-05-07 03:16:03 | Weblog
晴れ。初夏の雰囲気。

岡野あつこ・倉田真由美「『母』のせいで結婚できない女たち」を読む。

夫とうまくいかない妻=母が娘を自分好みに育て
その「ふたりの世界」から娘の彼を追い出すというお話。

仮に結婚した後も「母」を認めなければ結局離婚に追い込まれるのだと言う。
めんどくささの極みとでもいう存在がいる模様。

とはいえそれを受け入れる娘の彼がいさえすればどうってこともなく。
ここでも「需要と供給」さえ合えば問題なし。

もはや「好き嫌い」という趣味で他人をとやかく言うことの意味は失われたのか。
今さら「一般的」を求めても仕方がないことの証拠だとしよう。

小谷野敦「『こころ』は本当に名作か」を読む。

「正直者の名作案内」と副題にあるように
人は必ずしもいわゆる「名作」に対して「自分の評価」を明らかにしないことがある。

「消費が人を孤独にする」という資本主義がこれだけ進んだ現在
「文学」などという「マニアックな世界」で評価が違うのは当然。

「自分にはこう思えた」と表明しつつ
そこで賛同を得られれば幸いという程度のものでしかないだろう。

さまざまな評価に対しては自分で読んでみて判断するしかない「事実」に変わりはなく。
とはいえ実際に読むかどうかはまた別の話。

何に反応するかは「自分というアンテナ」による。
その「自分」がそれこそ「気分次第」で頼りなくもあり。

それでも自分が感じる「面白さ」にすがって読み続けるしかない。
というか「読むこと」が好きなことだけは断言できそう。
コメント
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